うに°うに°ぷにぷに別宅

こちらは、うに°うに°ぷにぷにZ の別宅になります。

2016年03月05日

朝比奈到達記念と、三浦海岸河津桜を見に行くという名目で、うまいものを食べに行った
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駅の自動販売機で切符買っていたら、どうやら左で買っていた子連れ家族、右の男女、いずれも「みさきまぐろきっぷ」を買っているらしい。快特に乗ったら、乗客がいたるところでまぐろきっぷのパンフを広げている。おいおい、これ全員マグロ目当てか?
ってかおまいら、そんなにマグロ食いたいか?(笑)(←あんたもだろ)
こいつらのせいでいったい何匹のまぐろさんがお亡くなりになっていることだろうか。(←だからあんたもだろっ!)

お馴染み、三崎口駅に着いた。
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例によって既にお昼過ぎ、おなかがすいたので駅でおそばでも食べおっと危ねえ今日はマグロを食べに来たのだ。(そういうのいいから)

だがマグロ以外にやること、まあほぼ普通に観光と主尾根関連のフォロー調査、探索になるが、それもあるのである。なのでとりあえず、のりば2の城ヶ島行きバスに乗る。
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人間しか写らないので画像はないが、タダで乗れるバス(まぐろきっぷ買っているので別にタダではありません(笑))はすし詰め状態、まさに井上陽水である。(また陽水かよ)
マグロ、休日が重なってこの人出だろう。快晴というほどに天気が好いわけではないが、マグロを食べるのに天気は関係ないということか。バスは増便しているようだが、焼け石に水 by François Ozonで激混みである。
何とか満員のバスに乗り込み、普段混んでいても立ったことのないような場所にずっと立って乗っていた記憶がある。途中で降りていった元気なお年寄りのグループも駅からずっと立ちっぱなしであった。誰も席を譲ろうにも譲れない混雑だったのである。京急さんまぐろきっぷでがっつり儲けているのだからもっとバスを奮発すれば良いと思うのだが、三崎営業所の供給に限界があるのだろう、などとバスヲタなら言いそうだが知ったことか。

それに加えて、このあたりを車を走らせた方ならおわかりになるだろうが、引橋前後の慢性渋滞である。国道135号がV字ターンしていて、両側から来た車が一斉に県道26号に合流する交差点である。そこまで駅から2km弱の登り坂、バスのような大型車はいちいち停止すると面倒なのだろう、一定速度で延々と時間をかけて上り続ける。まったくもう、よそ者がこんなところまで車で乗り入れるなよ。ってか三浦海岸からあっち回れよお前ら!とよそ者の私が言ってみる。

何にせよ一番迷惑しているのは地元の方々だろう。三崎の人たちが全員まぐろきっぷの利権(笑)にありつけるわけではないのだ。原発の地元が補償金で潤っているはずだから多少の被害はやむを得ないだろう、とか安全圏で語っているようなバカの屁理屈はここでも通用しないのである。

ヘトヘトになりながら城ヶ島に着いた。
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三崎港辺りでマグロ目当ての乗客がだいぶ降りたので、バスの混雑は少しだけ減った。よしっ!(何がよしっ!だ)
というわけで始まりました、うに°うに°ぷにぷに(ブラタモリかよっ)
約4ヶ月ぶりの城ヶ島観光、及び調査、探索である。(前回はこちらから

そう、我々の三浦主尾根プロジェクトはここから始まったのだ!(番外篇でしたが)
城ヶ島はまさにこのプロジェクトの原点とも言うべき場所であるっ!(だから番外篇でしたが何か?)

まあ何にせよマグロとは直接関係ないので、城ヶ島の観光、調査探索関連のレポートはページを分けよう。

さて、観光、調査探索が終わったところでマグロである。マグロタ〜イムッ!(何だよこのノリは)

ってマグロ、どこで食べれるの?(知らないのかよっ!)

きっぷ売り場の脇にお店一覧みたいのが載っているパンフ(電車で見かけたやつです)があったようだが、不覚にもそれをもらっていないのである。だが大丈夫だ。こちらにはiPhone6という文明の超ハイテク利器がある。専用サイトでお店と混雑度がわかる様になっているのだ。これで検索しよう。どれどれ。。。

どこも混んでる。。。orz

いや実はこれはバスの中で既にある程度想定済みだ。車窓から見えるそれっぽいお店にはどこも行列ができていた。サイトもバス中で確認してある。だがこの時間(14時過ぎ)まで混んでいるとは若干想定外である。

この先も予定があるので、あまりマグロ殺戮食するのに時間をかけるわけにはいかない。島の中で済ますつもりだったが、何軒かあるお店もまだ若干混雑しているようだ。が、一軒だけ鉄板で空いているところがあった。「京急ホテル」、城ヶ島灯台の下にあるアレである。

決めた。(笑)

よそと比べて「空いている」という状況が若干不安だが、まあマグロマグロだ。ホテルだしまぐろきっぷの胴元の京急さんだしハズシはないだろう。何にせよ並んだり待ったりするのはいやだ。

前回とは逆方向に、観光橋を渡り城ヶ島京急ホテルへ向かう。
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ホテルに付属しているものだが、お店の名前は厳密には「レストラン磯香瀬」という。
三浦砂礫泥岩互層(pdf)に打ち寄せる波を眺めながら、遠い海でお亡くなりになったマグロさんに思いを馳せて頂くのも乙だろう。(イヤな言い方するな)。

で、問題のマグロだが、出てきたのがこれ。
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ここは食レポブログではないので詳しくは記さない。写真でご満足いただきたい。
見た目マグロ以外のものの比率が多いような気がしないでもないがまあいいか。3000円奮発した貧困相な私にとってこれはきっと豪勢なものなのだろう。きっぷでがっつり儲けている京急さんの本家本元である。これで元が取れていないだとかだったら次から横須賀線使ってやるぞ。(笑)

私のためにお亡くなりになったマグロさん(だからその言い方やめろ)ですっかり満腹になった私は、前回は歩いて戻った城ヶ島大橋をバスに乗って渡る。言うまでもなくバスはタダである。(だからタダじゃないってば)
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今回のみさきまぐろきっぷの利用目的は、お亡くなりになったマグロさんを食べる(やめろ)のが主だが、京急さんの電車やバスにタダ(ただではありません)で乗れるということにより主尾根関連フォローの調査探索の交通費を節約するというところも大きい。
だがまぐろきっぷの利用特典は他にもう一つある。「みさきまぐろ施設利用券」、現在は名称が変わり、利用施設も増えているようだが趣旨は一緒で、要は三崎周辺のレジャー施設をタダ(タダじゃない)で利用できるというものである。
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温泉に入ったり、船に乗ったり、マリンパークに入場できたり、等々、色々選べるようだが、何にせよまだ主尾根探索のフォローが残っている。時間がない。施設を利用すると電車バスで移動する時間がない。電車バスで移動していると施設を利用する時間がない。うまくできているのだ。
油壺マリンパークなど久々に行ってみたい気もするがまたの機会にして、今回は極めて無難に三崎港バス停前の「」で「お土産を買う」を選択することにする。

うらり」である。この世は私のためにあるのである(それはうらら)。7つ駅があるのだ(それは浦和)
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お土産を買うところは正確には「うらりマルシェ」といい、いくつものお店が入っている。マルシェとはフランス語「marché」、そう、マーケットみたいなもんじゃな。(博士かお前は)

盛況で例によって人しか写らないので画像は他にないが、ここで「まぐろラーメン」と「ところ天」をお土産にした。
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「まぐろラーメン」は三浦海岸の駅前とかでこれみよがし(笑)に売っていて、以前より欲しかったものである。

建物の外のデッキから三崎の海、港を見ることができる。
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観光船が出ている。施設利用券で乗れるはずだ。次来たときに乗ろうかな。(マリンパークはよ)
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城ヶ島大橋主尾根線に乗るために三崎の街を歩く。
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三崎の市街の真ん中には北条湾という細長い湾が割り込んでいて、三崎港のバス停側から城ヶ島大橋方面へ向かうには、バスも歩行者もこの湾をぐるんと回り込まなければならない。同じような湾が入り込んでいる浦賀だと間に渡し船があったりするが、それがないのは湾の規模があっちほどではないということだろう。

その湾の根元のところにある三崎のメイン河川(?)狭塚川(さづかがわ)を渡る。
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この川の存在のおかげで、主尾根城ヶ島大橋の高台を通過すると設定したこのブログでは、橋から三崎街道(県道26号)沿いを南下する主尾根線はまっすぐ市役所などのある三崎の中心街に進まず、途中で東にはずれ岩堂山を経由するコースを取ることになる。

自動車は橋をくぐって向こう側から橋に登るが、歩行者は手前のこの坂から乗ることができる。
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橋に乗ってから先、宮川町方面へ課題1北側に並行した農道のほうが尾根っぽい。要確認。」の回収を行ったが、それはまた別記事にしよう。

そして現在、宮川町のバス停付近にいる。あとはタダ(じゃない)のバスで三浦海岸駅に出てを見て帰るだけなのだが、その前にひとつ、以前より気になっていたことがある。

岩堂山である。いや、岩堂山ではない。(どっちだよ)
ご覧のように、岩堂山はぱっくり2つに割れた山の左側の山である。真ん中をバス通り、または登山路(笑)が通る。
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左側が岩堂山
じゃあ、右側の山は何?(はい?)
せっかくのいい機会だ(どんな機会だ)。亡くなったマグロさんをたらふく食べて(だからその表現やめろ)なめこさんは元気がありあまっている。
よし、ここはあの右側の山に登ってやろう。

バス通り兼登山路(笑)を歩き、前に「さようなら。君のことは忘れない」と別れを告げた岩堂山の脇に戻ってきた。が、華麗にスルー。(酷っ)
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そのまま道を右(こちらがバス通りである)へ進み、登り口を探す。
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あったあった。
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登りきると神社がある。
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由緒書などは無かったようだが、後で調べたところよると、通称?「八雲神社」神奈川県神社庁によれば「神明神社」または「毘沙門神明神社」という。御祭神は、大日霊貴尊 、事代主命、素盞嗚尊。神様に詳しくない私は、最後の「スサノオ」だけはわかるのだが、あとは、大日霊貴尊=天照大神、事代主命というのは大国主の子ども、大国主が大黒様で事代主は恵比寿様のことらしい。恵比寿さんといえばバス旅お魚と釣り竿で有名である。つまりは海の眺めが良いこの場所でそういう神様だということだ。なるほど。
毘沙門というのはこの辺り、南下浦町の字名、近くにある白浜毘沙門天(慈雲寺)に由来するらしい。七福神尽くしだ。実に目出度い。いつもよりよけいに回そう(何を?)。ギャラは同じである(だから何の?)

慈雲寺を含む毘沙門の中心は(多分)下のバス通りをさらに先(西)へ行ったところにある。っていうか逆に言うと岩堂山周辺が毘沙門から見ると奥の方にあるのだ。なので鳥居は向こう側、バス通りを少し先に行ったところにある。
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そこから下りてさらに先、坂を下ったところにバス停がある。(ここで上のまぐろラーメンの写真を撮りました(笑))
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大乗」である。
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この記事を書くまでは「だいじょう」と読むとばかり思っていたのだがそうではない。「おおのり」である。「だいじょう」だとカッコイイと思っていたが「おおのり」だと(いや皆まで言うな)
地名の由来はやはり情弱な私には検索したが不明。

で、バスなんだが、さすがは三浦、それも三浦海岸行きである(?)こちらにも書かれているが1時間に一本、いまからだと25分待ちである。ここは歩くか。(は?)
バスはタダだが(タダじゃありません)、この辺りをのんびり歩くのも悪くはない。なに、三浦海岸へ向かって歩き、バスが追いついてくる頃に適当なバス停から乗れば良いのだ。(なめこさん今までにそれやって、バス停とバス停の間で当のバスに抜かされたことが何度もあります(笑))

実はこの「大乗」、三崎の方から来ると「宮川町」の次のバス停、つまり宮川町を出てあの例の登山路兼バス通りで2つの山が見えている間、そして右折してから神明神社の脇の坂をくだるまで、一切バス停が無いのである。さすがは三浦、その間約2km、鉄道の駅でも首都圏ならば比較的長い間隔だろう。
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(地理院地図を加工)

既にご存知のようにその間には畑しかないからなのだろう。岩堂山にぐらい観光者用にバス停作ってやれよ、と思わないでもないが、無いのはやはり三浦市的にも京急的にもあそこは観光地ではないということか?(笑)

のどかな道を歩く。
ガードレールに挟まれて間に立っているお地蔵様。だめだ、やはり最近は石塔や石仏のこういうシチュエーションに萌えてしまう♡(笑)
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じきに次のバス停、「大原」である。
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ここは普通に「おおはら」と読むマグロにつかれたなめこさんが一人である。
こちらは「大乗」から数百メートル、妥当な間隔だろう。

画像がないのでググストを貼っておくが、ここから先のこの道は凶悪なほど狭くなる。言っておくがバス通りである。
そもそもこのバスの経路はおかしい。なぜ海沿いの広い道路(県道215号、下図黄色いライン)を通らないで、わざわざ内陸に入り込んで狭い道を通るのだ?と、よそ者は思ったりする。岩堂山に寄るためか?だが先述の通り岩堂山にバス停はないぞ。
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(地理院地図を加工)

何のことはない、海沿いの道が後からできたのである。Wikipediaによれば海沿いの道路は毘沙門バイパス、それができるまでは、宮川町から先はこの内陸に入り岩堂山を経由するバス通りが県道だったのだ。つまりはそのときは、この凶悪に狭いバス通りよりも、さらに海岸沿いには最凶に狭い道路しかなかったというわけである。さすがは三浦である。(これ以上書くと三浦の人に怒られるぞ)

次のバス停、「毘沙門」についた。
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この辺りが先程言った毘沙門の中心地なのだろう。慈雲寺もすぐそばである。
まだバスは10分待ちだが、そろそろめんどくさくなってきた。(書いてる方もめんどくさくなってきた(笑))
ここらでバスに乗ってしまおう。

到着した三浦海岸駅なんだか様子が変である(笑)
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看板が桜仕様になっている。かわいい。
そういえば(これを書いている)最近は「三崎マグロ駅」なるものも季節によっては発生するようだ。なるほど、あれは普段は「三崎口」ではなく「三崎ロ」(みさきろ)だったのか。(笑)

結局河津桜は暗くなってから駅前のをチラ見しただけである。
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かつも悪くはない。
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あとは真っ赤京急さんで爆睡して帰るだけである。


ここでいよいよ三浦主尾根探索課題回収である。

最初の課題はこれ。
初っ端から問題課題である。(なんだなんだ?)
第1回で当初貼り付けた三浦市宮川町付近の地理院地図。
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

われわれは、この宮川町付近では海側に寄った県道215号を宮川橋に向かって歩いた。だがこの図によれば、主尾根線はもう少し北側を直進していることになる、というのがこの課題の前提となるものである。

問題はこの図の主尾根線である。
実にけしからん!(は?)

今ならこういう引き方はしない。
この線引の根拠は、36m標高点右上、35m等高線(破線)のとんがりのポイントと、「宮川町」の表記に被っているものと宮川橋矢印右側のそれぞれ30m等高線の中間ポイントである。その間を直線で引いてしまっているのがまずい
本ブログにおける「尾根線の引き方」のノウハウ的な基本中の基本を述べるならば、例えば高みで島になってる等高線があればその範囲の距離的に概ね中間を機械的に引っぱる、ということになっている。上記2ポイント(35mとんがりと、30m中間点)の位置は良いのだが、その間の直線がよろしくない。「宮川町」に被る30m線(北側)に接近しすぎているのである。両ポイントの間のラインは、反対側、県道の南の崖ラインに隠されている30m線(南側)も考慮しなければならない。両30m線の中間として、2ポイント間のラインはもう少し南に寄せるべきなのである。

このことによって修正される主尾根線はだいたい以下の様になる。(無駄にカクカクしただけじゃね?(笑))
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

もう少しなめらかにしても良いのだが、地理院地図のツールはベジエできないのでご勘弁いただきたい。(機能あっても超不器用ななめこさんはあまり使いませんw)
上記修正主尾根線はあくまでも地理院地図の等高線から「機械的に」引いたものであり、実際のラインは同じ等高線に囲まれた35m面や40m面のうち、やはり県道上かもしれないし、修正前の直線上に近いものになるかもしれない。要はそれを現地で確認するのが今回の課題の趣旨である。
だが、実際この日付のときは、まだラインがよろしからぬことに気づいていない。さらに困ったことに、この数ヶ月後(2016.11.26)、同じラインに基づいてもう一度辿っちゃったりなんかもしているのである。(以下にそのときの画像も併用します)

と、ここまで書いた時点で(は?)未来の記事でご紹介した地理院地図の「ベクトルタイル提供実験>地形分類(自然地形)」を見つけてしまった。一目で原地形がわかってしまうあの地図である。

早速この付近の様子を見てみよう。
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

ん?
標準地図と尾根線をこれに重ねてみる。

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(宮川町付近 地理院地図を加工)

狭塚川の支流の川跡と思われる薄緑の「氾濫平野」が海側に切り込んでいて、私の引いた尾根線はそれを一部横切っている。なんじゃこれは?あのつるぺた地形に川跡が隠されていると?
そして、さらにこれが実にまずい(笑)のだが、例の今昔マップで該当エリアの明治期迅速測図を見てみると、該当位置にものの見事に樹枝状の谷が切れ込んでいるのである。例によって、先に迅速測図見ておけよとか言われそうだが(先に見ておけよ)だってこのときは知らなかったんだもん!(まただもん!かよ)
よって、谷跡(川跡)を横切るこの尾根線は、現状の等高線に基づいているとはいえ、歴史的にはNGということになる。

実際に現在の地形を見るかぎり、あのつるぺたの畑の中を谷が走っていたことはちょっと想像できない。
だが、迅速測図に谷がしっかりと描かれている以上、近代、明治期以降に「人工的」な地形改変、いわゆる「造成」が行われたことは確実であろう。

などと呑気に考えて、さらに(迅速測図に比較してわかりにくいのだが)国土地理院の地形図の方を見ると、なんと「平成12年(1991年)修正」の版にまで、その谷っぽい等高線があるではないかー!
え゛っ?そんな最近!?

それはいくらなんでも最近すぎる。
色々検索かけたが、この宮川町の農地がここ最近に造成されたというような記述は、情弱の私には見つからない。面倒だが文献にあたるべきか?

だがご安心めされよ。本家国土地理院の地理院地図には、「空中写真、衛星写真」という最終兵器がある。(最終兵器かよ!?)
なんと1979年〜1983年の写真に、その谷が明確に刻まれていたのである。
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

これは別に目の錯覚ではない。谷の周りの畑のスジスジはそれぞれに谷を囲む方向についている。傾斜やら水利やら何やらの関係で、そういう構造になっているのであろう。

この谷は、次の1988〜1990年の写真では影も形も無くなっている。
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

結果この造成は、可能性としては1979年(昭和54年)から1990年(平成2年)の12年間のいずれかで行われたということになる。写真の撮影日がわかればもう少し正確に絞り込めるが、面倒だし、今の尾根探索的に本質的な問題ではないのでここでは保留とする。

後日、文献をあさってみたところ、以下の資料に、わずかながらこの領域の記載があった。
  • 三浦半島土地改良の足跡(三横支部創設30年記念誌)/神奈川県土地改良事業団体連合会三横支部
改良区等位置図」という折り込みの地図に、主に北下浦辺りから南側の土地改良をしたいくつかの地域が描かれていて、それには、この領域は「宮川町八景原共同施行」と示されている。
地図の先のページに「土地改良区、共同施行、準備委員会一覧 平成元年1月」という表があり、そのリストの3番目に、「準備委員会」として「三浦市宮川町八景原土地改良事業共同施行」が記載され、「事業」の欄に「区画整理 6.7ha」とある。地理院地図で計測したら領域的にはもっと広いような気もするが、実際に手を加えた部分(上記衛星画像の谷の部分?)だけの面積なのかもしれない。
つまりこの地域には、「土地改良」という造成が行われていたことは確実なのである。

「事業」に続く「認可」「登記」「解散」「備考」の各欄は空欄である。ん?平成元年(1989年)の段階で、まだやってないということだろうか?
だとすればここで土地改良が行われたのは1989年〜1990年と、ものすごく限定されてしまうことになるのだが、まあここで断定するのはやめておこう。とりあえず、1980年代後半か90年代、元号がお好きな方にはだいたい昭和か平成に行われたということで良いだろう。(だいたいすぎるだろ!w)

「宮川町 八景原」で検索をかけると、釣りに関する記事がずらっとでてくる。この辺りはいい釣り場であるらしい。
もしも釣りでこちらを訪れる方がいらっしゃったら、少しはこの記事のことを思い出して、、、いや忘れて頂いても結構です。。。(何弱気になってるw)

そういえば、元記事に貼ったこれ、
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文中の「供養塔」がどこにあるのかわからなかったので、無説明かつ無責任に貼っておいただけの画像だが、ここに看板のタイトルとして「八景原」と明記されている。
供養塔に関しては、こちらの記事(三浦八景原 遊女投身供養塔MK に画像付きの記述がある。
実際、その供養塔はどこにあるのか?おかしいな。看板の裏の笹薮の奥にあるのかな?と思ってGoogle見たらこっちにあんじゃねーかよ、おいっ!(なめこさん、ブログの言葉遣いは丁寧に)
ってか、最初っからこっちに看板出しとけよ三浦市!(はいはい。ちなみに看板はこの位置です。)

八景原や、最高峰90m弱のつるぺた自治体の話はともかく、以上のことで、土地改良前の「歴史的」な主尾根線は、上図のエリアではに最初にたどった海側の県道215号線沿いがほぼ正解ということになる。

最後に、念のため現状の地形で一旦引いた尾根線の検証として、あまりやりたくはない(笑)のだが、こちらも試してみよう。同じく地理院地図の「自分で作る色別標高図」である。(←なんかやだな、この名前(笑))
色別標高図は、アナログっぽい「等高線」とは別の、数値地図というある種デジタル様式のデータ表現をビジュアル化する手法である。
微細な標高差を判別するため、ある範囲の標高を限定的に色別にした、具体的には標高30mまでをグリーンとし、それ以上を1mごとにこげ茶色方向に色別にしたものが以下の図である。グラデーションはかけていない。
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

これはもう、私の尾根線は完全にはずしている(36m標高点から北東方向へのミニ支尾根は拾っているが)。色別標高ではほんの1、2mの標高差の谷の痕跡も観察できるが、10m、補間アリで5m単位の等高線では、そのような微高、微低は拾い切れないのである。なので、等高線の中間を引く、という手法が無意味とは言わないが、その等高線間の幅分誤差が出ることは免れないということである。。

尾根線を、数値地図(色別標高図)を使用して改めて引き直すと以下のようになる。
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

標準地図ベースではこのように書き換えられる。
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

尾根線を決定するのに、簡易な等高線よりもこの数値地図を用いることは、例えれば、生物学の系統学や法医学などで「DNA鑑定」を用いるようなものである。それが何か反則技(笑)であるような気がするのは、下手をすると従来の作業(ここの場合等高線による尾根線判定)が全否定されるような恐怖が私にあるからであろう(笑)。裁判所がてめーたちのクソつまらないメンツのために、冤罪の人を無理やり有罪に追い込んだヘボ判決を頑として取り消さないのと同じメンタルである。
かくもヤバい数値地図による尾根線解析は、上記のように「自分で作る色別標高図(やっぱやだ、この名前(笑))というツールを用いて、マニュアルでちまちま引いていけばいちいち可能であるが、とにかく手間がかかる。その場その場の実標高で、細かい刻み(例えばここでは1m単位)の色別を設定し直さなければならないからである。
なのでここでお断りしておくが、今回のように地形が平らで高低差が判別つかないような特殊な場合(今回は迅速測図のような古地図で原地形が確認できるのでちょっと違うが)を除いて、今後もしばらくは従来の通り等高線をもとに尾根線をアナログに引いていく手法を取ることにする。
数値地図による解析の方は、いずれプログラムか何かを組んで(え゛?)決着をつけようと思っている。それまでは、なめこさんの引く根拠のよくわからない、超いかがわしい、アナログな尾根線で我慢していただきたい。(やだ)

ということで、初回でその、ほぼ正解の県道上のコースを辿ってしまっている以上、この日(と11.26)の探索は今となってはあまり意味はない。
だがここで私は断固言いたい!(はい?)
私としては、尾根であろうがそうでなかろうが三浦の台地ののどかな風景を楽しめればそれで満足なのである!(あっそ)

なので今となってはあまり意味もないし、ご退屈かもしれないが、そちらはそちらで記録として一応残しておくことにする。(記事書いちゃったもんだからね〜(笑))

ではさっそく探索を始めよう。(無理矢理やな)

まずは県道215号、36mの標高点手前の道を入ってみる(左画像、ミラーの下を左折)。
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右画像は、等高線を元に2番目に引いた尾根線(以下2版尾根線とします)の進行方向を望んだところ。2版尾根線によればこの大根さんたちの中をその尾根線は走っていることになる。

右折し、県道と並行になる(左画像)。県道方向を見てみよう(右画像、電線が走ってるところが県道)。
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うーむ、なんか向こうの方が高く見える。。。(道も上り傾斜しているように見えます)

まっすぐ行くと道は下るので右折し(左画像)、県道方向に戻る。
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ダメだ、やはりあっちの方が高く見える。

県道上にある36mの独立標高点、私の尾根の線引では、必ずしも最高点にはならない三角点(例:岩堂山)などと同様、独立標高点も無視するケースが多いが、もしかしたらこの場合は意味が、つまり「ここらじゃ一番高い」地点を示しているのかもしれない。
再掲するが、上記左画像、
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県道沿い、一番右に半分見えるお宅の前あたりに独立標高点がある。

よって、ここまでに関しては現地判断としてもやはり、尾根コース的には県道を進むのが正解であろう。なのででここまでのコースはボツ。勝手に人んちの農道を歩いておいてボツとは失敬な話だが、尾根探索の世界は厳しいのである。(笑)
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

次に県道に合流する前に左折する道がある。これを行ってみよう。

この道の素敵なところは、進行方向ほぼ真正面に三浦市最高峰岩堂山が見えることである。(2016.11.26の画像。右は左画像の拡大)
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くどいようだが左が岩堂山である。(右の山はこの後行きました
つまりこの道を歩くと、岩堂山に向かってまっすぐに主尾根を目指しているという充実感があるのである。(笑)

この十字路(左画像、2016.11.06)、
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2版尾根線によれば右折してもう一本右の道路を行くべきだが、その少し前で斜め右方向を撮影した画像(右画像、2016.11.26)を見るかぎり、 あまり高かさには変わりがないかな。
因みに、過去にはこの辺りに左側から谷が切れ込んでいて、十字路右側で進行方向正面側と、手前側に谷が分岐していたらしい。右側がむしろ凹んで見えるのはその名残り、色別標高図にも微低に表現されているそれかもしれない。

さらに県道方向を観望してみる。(左画像は十字路手前から、右は十字路先から)
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こちらも微妙である。過去にはここに谷間があったのだ。

そのまま道なりに行ってみよう。(いずれも2016.11.26の画像)
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住宅地に入った。
左側は谷で道も少し下がっている。まさに台地の際である。

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(宮川町付近 地理院地図を加工)

台地の際ということで相対的に標高が下がっていたのだろう、軽く上ってからで突き当たり。これ を右折する。(いずれも2016.11.26の画像)
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この先、尾根線の示す通り、右折した道路の左側(北側)の住宅地にも入って見たが、とくに抜け道もなく地図通り行止りであった。標高差もあまり無いようなのでそちらには入らず、右折した道をそのまま直進してしまっても構わないだろう。なので画像は載せない。どうしても気になって気になって気になって夜も眠れない方は、無敵のGoogleさんが行き止まりまでぐいぐい侵入しているので、そちらをご覧いただきたい。
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(宮川町付近 地理院地図を加工)

道を先に行けば、「尾根サーチャーは橋を渡っては行けないっ!だの何だのごちゃごちゃ言っていた(笑)宮川橋の手前で左折した道路(バス通り)と合流する。止まれを右折したすぐ先に宮川橋バス停がある。
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ここでの探索は以上である。
ということで既に机上で結論は出ているが、ここで改めて課題の結論を述べておこう。
地形図、36m標高点の手前から宮川橋バス停の北側の交差点までの区間、主に宮川町の領域の主尾根コースは、海側の県道215号及び宮川橋の手前を左折するバス通りを通る経路とする。
まあこれはあくまでも数値地図にたよった微高な尾根探索にこだわったコースであるから、そこはそれで海を眺めたい方は県道沿いを歩けば良いし、岩堂山を正面に見て車のあまり通らない農道をのんびり歩きたい方は、今日歩いたコースを選択しても良いだろう。
この記事的には最後の最後に判明した八景原の「土地改良」だが、その痕跡を探ってみるのも面白いかも知れない。
宮川橋手前を左折するバス通りのさらに西側にもう一本尾根に沿っている点線の道路も気になるが、それはまたうまいものでも食べに行ったときに確認してみることにしよう。

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前回は、南北に走っていると想定する三浦主尾根に反して、東西に横長形状の島の台地を「尾根っぽい」として歩いてみたのだが、今回はそこはかとなく南北(縦)に尾根っぽい部分を歩いてみることにする。
そう、前記事で示した南側の先っちょ「赤羽根崎」から北側の先っちょ、城ヶ島大橋の乗っかる「遊ヶ崎」までのラインである。幸いこのラインには、地理院地図を見ても道がついていることがわかる。さらに素敵なことに、その途中には三等三角点「城ヶ島」が存在する。これは探索せざるをえまい。
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(城ヶ島 地理院地図を加工)

因みにこのラインを主尾根とするならば、いつぞや定義した「三浦の先っちょ」はこの赤羽根崎であるということになる。つまるところ、その東側のウミウ展望台安房崎、大橋東側の造船所に面した海は東京湾で、西側の先ほど歩いて来た海岸、長津呂崎灘ヶ崎、漁港の辺りは相模湾ということになるのだが、もはやどうでもいいか(笑)(あ、いい加減)

洞門脇の階段、前回はこれを下って上った
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前回の画像になるが、階段の上から見た洞門の上方向、これが南の先っちょ、「赤羽根崎」の先っちょ、そしてここでは三浦の先っちょということになる。
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上に登ってから2つ目の分岐、前回は右(城ヶ島公園ウミウ展望台方面)からこちらへ来たが、今回は左へ進む。
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が見えてくる。ここは右へ進む。
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等高線的にもやはりこの辺りが島で一番高所のようだ。
前回の塔の画像はこちら。この先で、今通っている道に左から合流(下図)、数メートル先で右に分岐する。あみだくじ状態、車が通っていたら絶対に渋滞する道路形態である(笑)
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この辺りの左側に三角点があるはずであるが、どうせまた草むらにでも埋まっているのではないかと思っていたら、さっとひらけた農地の中にひょこっとあった。
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三等三角点「城ヶ島」、標高29.81m(基準点成果等閲覧サービスより)  。
畠山以来久々の三角点ゲット!である。

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(城ヶ島 地理院地図を加工)

左は資料館に下る分岐、右へ行く。
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ここは右。
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上の右画像中央にもいるが、「防」なんとかと書いてある標石がぼこぼこ埋まっている。どうせ旧軍のものだろう、と適当に撮ってみたのを貼ってみる。
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さすが専門家がいらっしゃる。この手の標石はこちらにほぼ網羅されていた。

先に進もう。
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この辺りが北にとんがっている台地、遊ヶ崎の北東の際である。ここには写っていないがこの近くに城ヶ島大橋へ下りる階段がある。このまま三浦主尾根探索をされるかたは、そこから下りて橋を渡って三崎側の台地に乗り岩堂山方向に進まれるのが良いだろう。

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(城ヶ島 地理院地図を加工)

台地の北側を西へ進む。
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この先坂を下ると住宅地に出て、ほどなくバス通りに出る。
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台地(遊ヶ崎)の外側(下側)バス通りから見た台地の北の際。
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白秋碑前」のバス停前から城ヶ島大橋に階段を上る。右画像が橋の上、三崎方向。
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左に駐車している赤い車の前辺りに、先程の台地北東際からの出口の階段がある。
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さて、改めて久々の城ヶ島であるが、前回訪れたとき、次にうまいものを食べに来る機会にやっておこうと書いておいた項目がいくつかある。主尾根探索とあまり関係ないものもあるが、せっかくのこの機会に片付けてしまおう。その時点、番外編としてはまだ課題としての設定はしていなかったが、番外篇の課題、いや課題の番外篇か?どちらでも良いがここで課題的にリストアップしてみる。
  1. 馬の背洞門から城ヶ島大橋にかけて観察できる縦尾根っぽい道を探索する。
  2. 城ヶ島バス停からの路地をまっすぐ海岸へ出て、馬の背洞門まで南側の海岸を散策する。
  3. 城ヶ島バス停からの路地の谷は切り通しか?自然地形か?現地確認。
他にもあったかもしれないが、もうすっかり忘れた(笑)

前回は掲げなかったが、今回は地図にしてみよう。
みうらわが街ガイドという、近隣のどこだかの市でもやっている様なサイトの地図が非常に精細でわかりやすいのだが、によって利用許諾的にコピペはいいんだか悪いんだかよくわからないので、こちらもまた例によってリンクだけ貼っておこう。そしてこれはまた例によって今回もコピペ改変し放題(は?)の国家の地図を使用することにする。

相変わらず横に長い城ヶ島だが、よくわからなくなったものを含めて、目立つ「先っちょ」が5つある。
北から反時計回りで、「遊ヶ崎」、「灘ヶ崎」、「長津呂崎」、「赤羽根崎」、「安房崎」である。「赤羽根崎」は地理院地図には記載されていないが、わが街ガイドには書かれている。地理院地図で一番下に「城ヶ島」と書かれているところのとんがり、いわゆる「馬の背洞門」のある岬である。
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(城ヶ島・地理院地図を加工)

これらのうち、三崎に面する北岸にある「遊ヶ崎」は埋め立てによって、見た目先っちょ感が無くなりよくわからなくなった。わが街ガイドには海南神社辺りの地名として記載されているが、まあ概ね城ヶ島大橋や、「北原白秋碑」の辺りであると解釈して良いだろう。
あとの先っちょ、「灘ヶ崎」は「楫の三郎山」、「長津呂崎」は「城ヶ島灯台」、「安房崎」は「安房崎灯台」、がそれぞれある岬であるということでだいたい良いのではないかと思う。

というわけで、それを踏まえた上で今回の課題を地図に表記してみよう。
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(城ヶ島 地理院地図を加工)

のすぐ北側のバス停から反時計回りで調査、探索をするので、時系列的には番号の逆順になることにご留意いただきたい。


このときは今昔マップの存在を知らなかったのか、 歴史的農業環境システム(=迅速測図)のトップのリンクしかないが、今昔マップではこの辺りはこんな感じである。残念ながら地理院地図では縮尺的(解像度的)にちょっと辛い。

1880年代(明治10年代)の段階で、この谷はぱっくりと開いている。左右の高台は地図上は非連続と見て良いだろう。つまりは元々そういう地形であったのか、あるいはその時点で切り開かれていたのか、である。

谷(路地)から南側の海岸に向かって左側(東側)と右側(西側)の高みの画像である。
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よくわからん。(笑)

迅速測図は100年以上昔の話である。その時点で既に人工的な開削が行われていたとして、植生はこのぐらいにはなっているだろう。むしろ明治10年以前(ほぼ江戸時代である)に、島の北中央にあったと思われる集落から少し西にはずれたこの部分を開削する必要性があったかどうかを人文的に調べた方が良いのではないか。観光目的か?、漁業関連か?、軍事か?

よってこの話はおしまい。え゛っ?)

だってわかんないんだもん。また今度、うまいもの食べに行ったときにでも調べてみよう。(別に人文調べるのにうまいもの関係ないだろ)

先に進もう。(あ、逃げた)


前回は横方向(東西方向)の尾根感を楽しむだの何だの言って、城ヶ島灯台に寄ってからを回って、観光橋から路地に出た正面の階段をうにうに登って行ったが、今回は灯台を素通りして南側の海に出て左方向(東方向)へ向かう。
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課題が「馬の背洞門まで南側の海岸を散策する」なので、別にわざわざ画像を掲げるまでもないのだが(おい)、しょうがないので一応載せておこう。(投げやりだなっ)
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尾根、と言うより台地上の、前回通った道は北側の崖の上である。前回見た塔らしきものが見える(右画像)。
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このブラック・アンド・ホワイトの地層は毎度気になるのだが、
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何度も言うようだが地学が苦手の私には、それが何を意味するかさっぱりわからない。
検索したら、素晴らしい資料が見つかった。このうちの地学ガイド「三浦の地層」(pdf)によれば、この白黒の部分の地質は「三崎砂礫泥岩互層(三崎層)」で、白はシルト岩(泥岩)、黒はスコリア質砂礫岩というものなのだそうだ。シルトは海の泥、スコリアは火山からの噴出物で、それらがお互いに堆積して地層になったというからワイルドな話である。
城ヶ島の地質に関しては、こちらのpdfの方に詳しく書いてある。[ポイント]が12まであるとか、とても一度に私の貧弱な頭に入る内容ではないので、ご興味のある方は是非そちらを御覧いただきたい。

それにしても、植物ガイドの内容も含めてこの「副読本」の内容は実に内容が充実している。三浦市のお子様やヤングの皆さんは、さぞや三浦の植物や地質についてめちゃくちゃ詳しいことだろう。もし現地で何かわからないことがあれば彼らに聞くにかぎる。わからないとか言われたら「あれ〜?キミ勉強してないの〜?(藁)」とか言って笑ってやるが良い。(嫌味なよそ者だなっ!)

馬の背洞門」が見えてきた。俺の家も近い。(サザン関係ないから)
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これは、穿孔貝がぶちぶちあけたという穴だろうか?
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洞窟。
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今さらだが、毎度くだらないブログで恥ずかしい。穴に入りたい気分だ。(一生入ってろ
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この辺りは既に「初声凝灰岩層(初声層)」の領域に入っているようで、海側の岩もほぼ黒一色である。
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馬の背洞門」に到着。
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関東大震災で隆起する前は、この穴の下を船が通れたそうだ。(先ほどのpdfより)
ちらっと見えてる洞門の手前の看板をあらためてご覧になりたい方はこちら

今歩いて来た方向を振り返ってみる。
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