県道21号横浜鎌倉線(通称鎌倉街道)、この下には横浜市営地下鉄ブルーラインが走っている。
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この道に出て左方向(上画像で後ろ方向)すぐのところに、そのブルーライン蒔田(まいた)駅がある。こりゃまいっ(そういうのいいから)
蒔田城という城跡がこの近くにあるらしいが、そちらは機会があればまたいずれ。

この先も元々の古道は微妙にくねくねしているようだが、現代の道路の鎌倉街道をそのまま先に進もう。
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この鎌倉街道県道21号)、本当に鎌倉まで行くのかよ、とお疑いの方々のために念のためご説明しておくと、この先県道21号は、日野というところで大岡川境川柏尾川)の分水嶺越えをし、大船には行かずショートカットして、北鎌倉建長寺前を通過し巨福呂坂を越え、鶴岡八幡宮前の若宮大路を経て、無事国道134号滑川交差点に到達する。(県道のコースに関しては、こちらをご参照のこと)

さて、ここであらかじめ申し上げておくが、この先南方向に進むこのレポート、もうこのブログではすっかりおなじみの逆光祭りである(笑)。(←笑うなーっ!)
真っ黒画像や、色調整失敗で変な色合いの画像ばかりになるが、ご勘弁いただきたい。(やだ)

ブルーライン弘明寺駅、右側の商店街を行けば京急弘明寺駅と、弘明寺本体があるはずだが、今日は行かない。前記事にも書いたが、こちらもいずれ機会があれば訪れようと思っている。
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横浜国立大学教育学部附属横浜中学校の前、鎌倉街道の碑
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昭和37年(1962年)というなめこさんの意識のない時代の神奈川県知事の銘があるが、神奈川県知事と横浜市長(ついでに東京都知事)は近年ろくでもない奴らばかりだという偏見しかないなめこさんには、誰のことやらさっぱりわからない。

もうひとつ。横浜国大の素、横浜高等工業学校の碑。
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説明文の面を整形した(でも読みにくい)画像も貼っておこう。
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現横浜国立大学は、相鉄和田町駅から20分ぐらい、坂道をえっちらおっちら登ったところにあって、なめこさんが坂いやん♡とかいって志望を忌避した大学である。(←実際はなめこさんの偏差値が追いついていなかっただけです)
相鉄の新線ができて「羽沢横浜国大」なる駅ができるそうだが、それで実際に以前より便利になるのかどうかは不明。いずれにせよ、偏差値がどん底のなめこさんにはまったく関係のない話である。

先程申し上げたとおり、逆光祭りで交差点名がほぼ読めないが、ここは南警察署前
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お疑いの方のために、中学のすぐお隣の南警察署の画像も貼っておこう。(笑)
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おわかりになりにくくて申し訳ないが、左画像、歩道の先に旧道の分岐がある。そちらへ入る。
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しばらく静かな通りを進むが、
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まもなく県道に戻る(左画像)、と思ったのだが(はい?)県道に戻る直前に左へ分岐するこの道(右画像)、(ひどい画像だな)
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どうやらこれも古道跡らしい。

その先の画像がないのでGoogleさんを貼るが、古道は真ん中に見える駐輪場方向に続いて県道に戻るはずであるが、道は通っていない。

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(地理院地図を加工)

本日2度めの京急さんをくぐり、上大岡駅方行へ向かう。
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地名としては、横浜市南区大岡から横浜市港南区上大岡西に入る。大岡、「上」がつくつかないで区名が違うが、まあ細かいことは気にしない。(気にしろよ)

はこの先の県道に面しているが、ここでまた旧道分岐である。
慰霊堂入口交差点を右に入る。
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この慰霊堂というのが何だかよくわからなかったのだが、分岐の手前を直角に右へ行くと神奈川県戦没者慰霊堂というものがあるらしい。
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(地理院地図を加工)

上大岡の繁華街の裏通りっぽいところを通る。
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裏通りとか申し上げたが、かつてはこちらが本通りであったはずである。
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県道に復帰する。(左画像)
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古道県道を横切って進むのでそれを渡らなければならないが、人間は歩道橋しか渡る手段がない(右画像)。全然バリアフリーじゃないな、神奈川県。

幸いなめこさんは、ぷにぷにしているが今のところはバリアをものともしないので、上に登って様子を見ることにする。
左が今来た旧道を振り返ったところ、右がこれから進む方向。
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関ノ下交差点、ここからは県道22号横浜伊勢原線(通称笹下釜利谷道路)に入る。
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まずは県道の名称の方、伊勢原とは大きく出たものだが(笑)、経路としては、新杉田駅前の国道16号聖天橋交差点から次記事で登場する杉田新道を経て、この道路をこちらへ向かい(つまりここでは県道21号とはベクトルが逆)、この関ノ下交差点で折り返して県道21号と重複した後、環状2号線東海道と合流しつつ、戸塚からはいわゆる大山道に沿って大山の手前、伊勢原まで達するらしい(先程のこちらをご参照のこと)。
ここまで来てV字ターンしないで、環2をショートカットした方がラインとしてはきれいな気がするが、何か大人の事情があるのだろう。(笑)

一方、笹下釜利谷道路、この通称はどなたがお付けになったかは存じ上げないが、県道のように途中で杉田の方にへにゃっと曲がらないで(へにゃ?)直進、金沢区の釜利谷交番前交差点まで達する。その先も笹下釜利谷道路の範疇に入るのかどうかはよくわからないが、さらに道なりに進むと金沢文庫駅のすぐ前で京急を越え、国道16号君ヶ崎交差点へ出る。(その交差点は次回通ります)

またこの道路は、横浜市の都市計画道路にも指定されていて(ややこしいな)、そちらでの名称はいつぞやも言及した横浜逗子線文庫には向かわず釜利谷交番交差点を直進(現在の道路形状は右折)、六浦まで達したらその先は京急逗子線に沿って逗子へ向かう。
逗子からは小坪を越えれば(くぐれば)すぐに鎌倉である。なのでいささか強引な解釈になるが、ここから先の笹下釜利谷道路は金沢へ向かう金沢道浦賀道前半)のメンテ版、横浜逗子線朝比奈越えをする鎌倉道のメンテ版と申し上げることもできよう。(いや、後者は強引すぎるぞ)

なお、県道がここで分岐するとともに、大岡川も上流方向へ2つに分岐している。それぞれ笹下川日野川笹下川の方が本流らしい)である。県道21号鎌倉街道)は日野川沿い、これからたどる県道22号笹下釜利谷道路)は笹下川沿いの谷筋をたどることになる。
これらの両川の間の高台に、これはまた笹下城という城跡があるらしい。ということを今Wikipediaを見て初めて知った(笑)。まあそちらもまたいつかいずれ。。。

何にせよ、先は長い。(笑)
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笹釜に入って(←略すなっ)5,6分、道路右側に横浜刑務所がある。
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なめこさんも行動を慎まないと、今後お世話になりかねないことになる。あれ?今、青紫ワンピのかわいい幼女とすれ違(やめろ)
この刑務所の前辺りから地名は上大岡西から笹下に移る。笹下の地名の由来はこちらによれば、前出の笹下城を築城した間宮氏の出自が近江国篠筍(ささき)郷(あるいは佐々木?))であることによるものらしい。

は若干上り坂、右画像の辺りが
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そういえばここで机上で行ったのカウントを今回はやっていないが、ここは前記事の清水ヶ丘越えにつづく2番めのとなりうるのかどうか。単に笹下川からちょっとだけ離れて、超プチ段丘に乗っただけであるかと思うのだが。(ないない)

まもなく環状2号との交差点、立体交差である。
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その前にこの建物(事務所か店舗の跡?)の脇に、これがある。
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鰻井戸である。鰻丼ではない。(はい?)
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環状2号の立体交差が見えてきた。
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打越交差点、要は上の環状2号の入口である。
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指定方向外進入禁止の標識が何やら大変なことになっているが。。。

向こう(釜利谷方面)から来ると、環状2号外回りの入口(青丸)の手前にもう一つ道路(赤丸)があり、何事にも迂闊ななめこさんは何度か引っかかってそっちの道に入ってしまい、薬屋さんの駐車場でターンして戻ったりしている。(笑笑笑)
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まだまだ先は長い。(さっきから1kmしか進んでないじゃないかよ!)
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日下小学校前の歩道橋。
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ぷにぷにしてるがバリアをものともしないなめこさん(その言い回しやめろよ)はこれに登って、右奥を流れる笹下川の様子を眺めてみる。(冴えない写真だなw)
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先へ進む。
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新川橋交差点
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ここにまた旧道分岐が。。。
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(地理院地図を加工)

ここからの古道は、距離も長くなかなか素敵なので、次記事へ回す。
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(地理院地図を加工)