新川橋交差点からの分岐、
これはまた、実に古道度の高い道路である。(古道度?)
この道幅に萌える♪。
川と山の間の狭いスペースを古道は進む。
この辺りから地名は、横浜市磯子区田中1丁目となる。2丁目は笹釜(あ。また略した)の向こう側(西側)。
田中とはまた実にマー君な地名なのだが、その由来について調べてみるに、あいにく磯子区には港南区みたいな地名の由来ページが2019.7現在ない。仕方がないのでWikipediaを見ると「現在の二丁目にある薬王寺の奥の院本道薬師如来像が水田から出現した事に由来する」とあり、出典も明記してあるので一応信頼してよいだろう。別に薬師如来が出てこなくたっていいじゃん、などという野暮なツッコミはいけない。(だったらわざわざ書くなよ)
左側高台の上のお寺、妙蓮寺。とくに寄っていないのが入口の画像だけ。
笹下川。
ここも微妙な峠感がある。
振り返ってみたところ。やはりカウントするほどの峠ではないかな。
お、ここも峠か?
ここで交差する道(左方向への上り坂)に乗るための段差で、さらにその先に下り段差がない状況からこれまで通りプチ段丘に乗っただけらしい。
それよりも、ここの左の角のところにかねさわ道の案内板がある。
この地図を見るかぎり、ここまでのところはだいたい順調のようである。
道を渡ると、地名は栗木1丁目に変わる。
栗木の地名については、こちらもまた安易に出典明記済みのWikipediaを引用すると、「「くり」は、古語で物の位置すべきところを指す「座(くら)」が転じたもので、「き」は「城」から転じたものと考えられ、横浜南部の古い広域地名「久良岐(くらき)」の語源になったと考えられている」ということ。いわゆる現在の横浜市の西区、中区、南区、磯子区、金沢区のだいたいと港南区の半分を占めていた「久良岐郡」の素となる地名であるらしい。
このちょっと先で、道の左側が杉田2丁目になる。そう、京急さんの快特や特急がジェットコースター状態で暴走する、あの杉田である。(笑)
白い坂道が〜♪(はい?)
笹下釜利谷道路(県道22号)が見えてくる。浦賀道は笹釜(略すなって)に戻るようだ。(右画像)
旧道出口近くに馬頭観音の石塔がある。
県道に合流するとすぐに、今度は環状3号線との交差点である。
白い坂道が〜♪(ユーミンもういい)
だがその手前でまた旧道分岐。
ここから、笹下釜利谷道路を直進するこちらのテキストとは別経路になるが、そのことについては後で議論する。
我々が入った杉田新道はこのまま直進し、大岡川流域と東京湾側との分水嶺を越え、京急の杉田駅を経て、JR根岸線の新杉田駅の方へ向かう。一方古道の方はここで右(右下の車がいるところ)に入る。
この右折方向は根岸線のガード(線路左方向が新杉田)の下で笹下釜利谷道路に戻るが、古道はすぐ左へ入る(左画像、左の電柱の手前)。
地上を走る根岸線の線路にぶつかるが、踏切がないので渡れない。こういう場合、向こう側に道が続いていたりするのが見えるはずだが、、、見えないぞ!、邪魔だ根岸線!(笑)
やっといなくなった。。。十両編成めっ!(笑)
おわかりになりにくいかもしれないが、建物の間、白いガードレールが見えるところがこの道の続きである。
そちらへ回ろう。あれ?誰か呼んでいるぞ。手を振っておくか。(?)
先程のガードの方へうにうにと迂回する。(右画像はガード振り返り方向)
まもなく環状3号との交差点だが、
その手前を左に入る道が、先程の踏切の先の道である。
線路をはさんで先程の道が見える。おーい、過去のなめこさ〜ん。あ、手を振ってくれたぞ。(だからそういう茶番はやらんでいい)
回れ右して、古道、順方向の続きである。
今昔マップで見るかぎり、杉田新道に入ってからここまでの経路は微妙なズレズレ感(ズレズレ感?)がある(例えば迅速測図、明治36年(1903年)地形図)。だが道の線形などからみても、だいたいこんな経路であったのかと思うし、こちら(鎌倉下道)でもその経路を取っている。もしかしたら杉田新道建設後(大正10年(1921年)地形図)の古道のメンテ形態かもしれない。(実に便利な概念だなw、メンテ形態)
笹釜(略すなーっ!)に戻って、すぐに環状3号との栗木交差点。
環状2号とは異なり、なぜかここは立体交差になっていない。環状3号、軽く見られているのだ。(はい?)
なめこさんがヤングの頃、まあだいたい経路が出来上がっていた環状1号や4号とは別に、環状3号はほとんどまだできていない状態で、この付近だけがちょっとだけ開通していた。そしてその当時「じゃあ2はいったいどこだよ!?」と言われていた全く影も形も無かった環状2号(新横浜駅付近はできてましたよ)が、その後いつの間にやら先にあっという間に全開通してしまった。未だ未開通でどこをどう通るのかよくわからない環状3号は、やはり軽く見られているのである。(なぜ3号をdisる?)
そんなわけでこの楽しい浦賀道歩き(楽しいのかよ?)、短期間のうちに環状2号と3号との交差を軽〜くクリアしてしまったのであるが、残りの1と4との交差はどうなっているのか?(浦賀道は、横浜市の中心部に近い保土ヶ谷から外(南)に向かって走っているから、全環状道との交差の可能性は高いですね)
まずは環状1号線、実はこの浦賀道との交差部分はここだけの話、なんと開通していないのだっ!(いちいち大文字にすんなよ)
環状1号北側は、京急さん神奈川駅前の青木橋からぐる〜んと回って相鉄の天王町駅をくぐりそこからは旧東海道、そして我々今回スタートした保土ヶ谷駅西口前でなぜか駅前広場の方に向かい、そこでフェイドアウトしてしまっている。(フェイドアウト?)
環状1号北側は、京急さん神奈川駅前の青木橋からぐる〜んと回って相鉄の天王町駅をくぐりそこからは旧東海道、そして我々今回スタートした保土ヶ谷駅西口前でなぜか駅前広場の方に向かい、そこでフェイドアウトしてしまっている。(フェイドアウト?)
環状1号が再始動するのは(再始動ゆーな)、線路反対側の国道1号、保土ヶ谷橋交差点からである。その間が未成であり、今後開通するとすれば、今井川と踏切を渡る辺りがおそらく、浦賀道×環状1号の交差地点ということになる。(×?)
あるいは駅前に入らずに、我々が一番最初に歩んだ凶悪税務署前の(怒られるぞ)狭くなった一通の旧東海道が、現時点での環状1号なのかもしれない。そうなると、例の金沢横丁の道標のあるところが浦賀道との交差点、かつ浦賀道のスタート点ということになる。まさに浦賀道は横浜市環状道路とともにあるのだ!(大文字で言い切るなよ!)
さてそうなると、残りの4号はどこで交差するのであろう?
笹下釜利谷道路で(あと京急も)は上に述べたように2と3が非常に近い距離で交差するので結構盛り上がるのだが(盛り上がるかよ?)、残念ながら4号はかなりずっと先である。それがどこかは、お・楽・し・み・♡(六浦だろ。)
栗木の交差点までが(根岸線ガードから)栗木2丁目、そして環状3号を渡ると上中里町に入る。田端だか王子だかの近所にありそうな地名だが、関係あるのかどうかは知らない。(調べないのか?)
渡ってすぐの、バッティングセンターの先に左斜めに分岐する道、これがまたまた古道である。唐突だが浦賀道はここで笹下釜利谷道路とは永のお別れになる。
その4 上中里、杉田へつづく
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