うに°うに°ぷにぷに別宅

こちらは、うに°うに°ぷにぷにZ の別宅になります。

2016年12月24日

磯子区金沢区境界半山道をうにうにと上り、断崖カタストロフィに立ちすくんだクリスマスイブのなめこさんは、「第1回はここでお開きっ!♡」ということにして、おうちに帰ることにした。ここから近い駅は東方向の京急富岡能見台、直線距離で1.5kmほど、歩けない距離ではなうわあ〜やっぱり気になる〜!(何だよっ!)

これ、
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と、これである。道路右側の森への入口。
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前記事で申し上げたが、今回は尾根探索ではない。だが車両進入禁止の先、右折して坂を上ってきた古道よりも、右側(西側、上中里町側)の森のほうが小高くなっていて、厳密にはそちらが尾根線であろうことが気になるし、しかもいったい中はどうなっているのかも気になる。

早速入ってみよう。(入るのかよっ!)
何、この季節である。問題ない。(岩船地蔵側の入口です)
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ややっ!?
これわいったい何?私わ誰?(なめなんとか)
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ただの山道かと思っていたのだが、傍らにいわゆる公園の柵のようなものがある。

柵は先にも続いていて、ここにも。
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ここはいったい何なんだろう?公園の跡?いや跡だとして、なぜ「跡」になっているのだ?
位置関係からして、こちらが旧道ということもない。

この辺で犬の散歩をしている方とすれ違った。山道として荒れていないのは、ご近所の方々がこうしてしばしば足を踏み入れているからなのであろう。
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さらに進むとT分岐になっている。
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左方向と右方向。
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右方向は、岩船地蔵の坂道に右折する前に見かけた入口に出るのであろうかと思われる。

ここは左へ進んでみる。
下り坂である。
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おおお、下界に出たぞ。
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出てきた道を振り返ってみる。
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こんなところから、なめこさんのようなぷにぷにしたものがいきなり出てきたら、通りがかった人はびっくりするであろう。(笑)

場所的には、ここの分岐を右に入って200m弱のところ。
要は、浦賀道とこの分岐道の間で三角に森になっている真ん中へんを北上し、T字路から西へ下ったということである。

それにしてもあの山道にあった柵のようなものは、いったい何であったのであろうか。地名は横浜市磯子区上中里町。色々と磯子区関連の文献等も調べてみたが、情弱かつ調査能力のない私にはついぞわからなかった。

前記事では、
この先南側、先程対岸と表現した文庫に通じる六国峠ハイキングコースの側はいい具合に段々になっているのだが、こちら側(北側)はここの断崖でわかるように「掘りすぎちゃって困るの〜♪」的な感がある。この無理な段差は土砂調達のノルマの結果か???
なんてことを書いたが、地形を良く見てみると無理やり掘り下げたと言うよりも(いや無理やり掘り下げたのではあろうが)、このさらに北側の杉田9丁目からの連続で(区境辺りにピークはあるが)、この森だけを残してあとを平らに均したのではしたのではないか、という感じである。
KaminakazatoM
それが土地の権利関係などとは別に何か意図的なものであるとすれば、例えばあの断崖カタストロフィは、富岡西能見台のニュータウン、そして八景海方向を見通すための展望台機能を持たせたものであり、さらに少しだけ小高いこの森部分、山と言っても良いだろうが、それは開発元が「展望公園を作って見ますた」的な意味あいのものであったのかもしれない。それがなぜただの森、山道として放置されているのかはわからないが、京急とかに訊いてみたら何かわかるかもしれないな。

ということで、とりあえずは図書館でうにうにと調べてみたところ、「京浜急行八十年史」(昭和55年(1980年)3月15日発行)という本で、こんな図面を見つけた。(648ページ)
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釜利谷地区開発計画の概要」、東半分の住宅地部分が後の能見台ニュータウン、正式名は「京急ニュータウン金沢能見台」である。(因みに富岡ニュータウンは、右上の空白部分に隣接している)
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実はこの図面、以前にもご紹介したこちらにも載っていることを、この記事を書いているたった今見つけた(しかもカラー)のだが、「紙コピー→スマホ撮影」のこちらの方が拡大して見ることができる。(雑なコピーだが)
我々がうにうにした森は、この図の一番上のとんがっている部分になる。そして浦賀道を断崖カタストロフィで消滅するところまで青いラインで引いてみると、こんな感じ。
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この図が非常に興味深いのは、太線で囲まれた領域を開発計画領域とすれば、件の森もその範囲に入っているということである。私は当初、先入観で磯子区であるその部分は金沢区側の「開発」からは除外されていると思い込み、その後、上の「展望公園」説、つまり森部分も開発区域に組み込まれているのではないかという可能性を適当な思いつきで述べてみたのだが、太線で囲まれた領域=開発計画領域であるとすれば、これはジャストミートで後者ということになる。そして、少なくとも現在ある森とその地形はその開発元によって意図的に残されたものであるということができるのである。
「展望公園」のような計画があったかどうかは、道を挟んだ対面の児童公園(富岡ひかりが丘公園のこと)については図に記載されているが、森の部分については何も書かれていないので、実際どうなのかはわからない。あるいは例の柵については、開発計画とはまったく関係がないのかもしれない。
何にせよ、これ以上調べてもよくわからないし、記事が先に進まないので、この件はとりあえず謎のままにしておこう。

もう一つ、金沢沖への土砂調達の件だが、「京急沿線の近現代史」(小堀 聡 著)に、その辺りの経緯が詳しく記載してあるのを見つけたので、ご紹介しておこう。
引用すると長くなるので、かいつまんでご説明する(「第八章 富岡〜金沢八景ーおもしろき土地の大衆化」) 。
  • 1965年、横浜市は富岡〜野島の金沢地先一帯(前記事で申し上げた、現在横浜シーサイドラインが通っているところ)での大規模埋め立て計画を発表する。
  • 同時期に、京急による釜利谷開発計画が持ち上がる。 
  • 市は当初、京急に対して開発地域を市街化調整区域として開発規制をかけようとしたが、後に条件付きで認可することにした。
  • その条件とは、
    1. 住宅の収容計画人口の引き下げ
    2. 住宅地と恒久的緑地の面積の比率の指定
    3. 高速道路(金沢支線のこと)をトンネル方式で通過させる
    4. 文庫駅西口広場の整備
    5. 排出土砂を排土トンネルで金沢埋立地に無償提供
最初の4つは行政が介入しても「ごもっともごもっとも」な話であるし、駅前の整備は京急にもメリットのある話であるが、5だけがなぜかチャッカリしている。(笑)
日本社会党の中央執行委員長にまでなった飛鳥田一雄という革新市長が、金沢沖埋め立ての開発を推進した経緯だのが、現代から見ると少し奇異な感じがするが、高度経済成長期とはそんなものであったのだろう、とざっくりとまとめておく。(またざっくりかよ)
その後、反対運動や石油危機(高度経済成長オワタ)等で京急の開発計画が停滞し、京急さんは市に対して「開発手伝えよ」と申し入れたのだが、反対運動の矢面に立つのいやん♡な市はそれを嫌がり(革新市政の時代からこの市はセコいのである(笑))、おまけに土砂の搬出が延期になったことに市が業を煮やし、千葉県の浅間山からも土砂を購入することになったりもしたが、なんとか丸く収まり開発は続行されることになった。(あ。また適当にまとめた)
  • 1977年、排土トンネル工事、1978年、造成工事がそれぞれスタートする。
  • 分譲地が能見台と命名され、1982年、谷津坂駅が能見台駅に改称
駅の名前が変更になったのは明確に記憶しているので、一連の出来事は比較的最近だったんだな、と個人的にはあらためて思う。そして、
  • 1993年、シーパラ開業
以上で、辺境ではあるがカッコイイ現在の金沢区(なめこさん個人の見解です)は、ほぼ完成である。
この著書のこの章には他にも、開発反対運動の人々の話や、金沢沖埋め立て以前の平潟湾の埋め立てや、さらにそれ以前の海水浴場時代の話など色々載っているので、ご興味のある金沢区ファン、京急沿線ファンの方は、是非原著をお読みいただきたい。せっかくコピーしてきたので、平潟湾の話などはいずれご紹介する機会があるかもしれない。

まあそんなことはどうでもよくて、早く帰りたくなったなめこさんは「笹釜に出たほうが早いや」とまたまた適当な略語を使って、適当にバスに乗り、上大岡のクリスマスの闇に消えましたとさ。(闇?)
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バッティングセンターの先の左斜めに分岐する道、それも上り坂である。
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盛り上がってまいりました。(だから盛り上がってるのかよっ!?)

至るところに車が駐車されているが、こういう場合だいたい車にとっては行き止まりになる道路だったりする。
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坂を上りつくと、来た来た来た来た!(笑)
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ザ・山道である。あれ?もしかして浦賀道歩き初の山道かな?
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さらに坂を上ったところにいる、庚申塔の皆さん
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今上った、あるいはこの後出てくる坂も全部ひっくるめてかもしれないが、坂の名前を向坂といい、この庚申塔さんたちは「(栗木)向坂の庚申塔」と呼ばれる。因みに数字はつかない。(何の数字だよ?)
例によって古い石塔の文字など読めないなめこさん(はなっから読む気ないだろw)としては、これはまた例によって、参考サイトとして人様のサイトのリンクをいくつか張っておこう。

その奥で道がT分岐になっている。
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右が浦賀道の続きだが、その前に左側を少し上ってみよう。
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見事な切り通しである。しかも、個人的にはどこか見覚えがある風景だぞ?。
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切り通しを抜けて先に進むと、下界へ下る階段がある。
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階段を下った正面は、横浜市立浜中学校

T分岐からここまでの道は概ね、左〜上中里町、右〜杉田坪呑(すぎたつぼのみ)の境界であり、切り通しのピークから先は大岡川流域東京湾側の小河川との分水ライン、つまり大岡川右岸側(東側)の尾根道である。因みに「つぼのみ」という面妖な地名については、磯子区のサイトはあーだし(あー?)、いずれ触れる機会もあろうからここでは触れない。(あっそ)

このブログを始めるほんの少し前に、なめこさんはこの切り通しを含む尾根(旧久良岐郡域中央を縦に縦断しているので、久良岐尾根としておく)を一部、上り方向(尾根末端から分岐側)へ辿ったことがある。そのときはまだブログをするつもりはなかったので、「歩くStreetView」と言われる(はい?)今ほどには大量な画像は残っていないが、この切り通し部分の「美しさ」(笑)にはさすがのなめなんとかさんも感銘を受けたと見え、リスの画像とともに数枚の画像が残っている。(リス?)
下の左画像は浜中前の階段を上ってからの尾根上り方向(南方向)、右の崖上が尾根、階段の手前右が切り通しである。そして、右画像はその切り通しに入ったところ、このときはいわゆる尾根線を確認しただけで、下(庚申塔のT字路)までは下らなかった。(以下、どちらも2015.9.27の画像)
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これらが、今日の上の画像をそれぞれ反対方向から見た画像ということになる。

このときの感覚はちょっとご説明しにくいのだが、「あー知ってるとこだわ」といういわゆる既視感覚よりも、「え?何で私はこんなところにいるの!?ひいいいいい!」的な(ひいいいいい?)、乱歩や綾辻的なある種のびっくり感覚であったのである。
この杉田坪呑尾根部分は、海側から見るとかなり標高があるということを私は既に知っている。尾根を南方向(切り通しを出て右方向)に辿れば、方向への眺望がかなり良い。逆方向からだと、京急でトンネルをくぐって屏風ヶ浦から先、右方向の高台の上の辺りである。かなり高い。
それを大岡川=笹下川の谷筋から、庚申塔さんたちを脇目にみて、ひょいっと簡単に上れる高さにあったことが驚愕だったのである。
そのことは、翻せば内陸部の大岡川=笹下川がかなり上流に上がってきていて、既にそこそこの標高に達しているということを意味する。
実際、地理院地図で測定してみると、この付近の尾根道上で一番高所と思われる浜中側階段付近が53.3m、例のバッティングセンター先の分岐(笹下釜利谷道路を挟んで笹下川が流れている)が32.0m。何だかんだで尾根まで坂を20mは上ってきたことになるが、例えば海側の最寄り、京急杉田駅が5.5mであるから、バッティングセンターの段階で標高差の割合は半分以下、尾根の高さと比較して6割ぐらい上ってきていることになる。

庚申塔さんたちの前のT分岐から今までの話は、浦賀道からは寄り道である。元のT分岐に戻る。
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浦賀道としてはこの先下り傾向になるので、このT分岐付近(44.2m)がちょっとしたピークになり、このときとしてカウントした。ここがになっている理由も妄想したが、同じことを偉そうに書いてもあれなので、自分の文章を引用だけしておく。
庚申塔のある位置は、上記埋め込みのYahoo地図のポイントの少し上、細い道が分岐している辺りである。分岐を笹下釜利谷道路の方に西進せず、上記引用の通り北へ向かえば海側の杉田に出る。杉田へ向かう道の接続の都合でちょっとだけ標高を上げたということなのだろうか。
なお、
こちらの道は山道だから、Googleさんは侵入していない。なので残念ながら画像はない。
と書いたが、ちゃ〜んと画像撮ってきたぞ。えへん!(何威張ってんだよ?w)

さて、T分岐の右方向である。
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山道を抜けて、下り坂。この辺から左側の地名は杉田坪呑から杉田8丁目に替わる。
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ん?また上りか?
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しかもまた道が狭くなってきたぞ。
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この辺りもプチ峠っぽいが、微妙。保留。
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黄色センターラインの道路を渡り、宅地化された道を歩く。
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右側、笹下川を挟んでお別れした笹下釜利谷道路が見える(右画像、オレンジ色ENEOSの前)
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の直ぐ側まで崖が迫っている。
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川沿い、変な顔の木がいた。
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ここら辺から道の左側は杉田9丁目になる。(右側は栗木交差点からずっと上中里町
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沿いの道はこのあたりが最後、以下の3枚目の画像以降、既に若干の上り傾向にある道はから離れ始める。
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この辺は、左側の崖沿いに湧き水の出ているところが何箇所かある。
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崖上の杉田9丁目に登る道と交差する。
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(地理院地図を加工)

その後、道は本気な上りになる。そう、本気と書いて「マジ」と読むのだ!(だから何だよ?)
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今辿っている古道とは直接関係ないが、坂を上らずに笹下川沿いの谷筋をキープする道が右側に分岐している(上右画像中央部の拡大)。次記事(おまけ)を読まれる方はご記憶いただきたい。
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右側の風景。(やかましい!)
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まだ白しか言ってないだろうが!12pt斜体で歌う気まんまんだろ!)
因みに、お日さまの、建物の屋上をはさんだ右側の山が、横浜市最高峰と言われ実は最高峰ではない、 ハイキングコースとしては著名(PDF)なくせにその山頂は立入禁止の、円海山である。(円海山カワイソス)

坂の右側は森になっているが、左側は住宅地で開けている。かつてはこの辺りはもう既に完全に山道であったのだろう。
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上右画像の車両進入禁止の角のところから、道の左側が金沢区富岡西4丁目になる。
つまり、右側は磯子区上中里町のままであるので、ここからこの道が磯子区金沢区境界ということになる。と同時に、大岡川流域東京湾側の諸河川(この辺は富岡川?)の分水界のほぼ尾根道ということにもなる。

右側の森に入る怪しげな上り坂があり、冥界の入口の様なその様子になかなかそそられるのだが(笑)、今回は尾根探索ではないので見なかったことにして先に進む。
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右方向へ坂を登る。盛り上(はいはい)
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左側の崖下に広がっているのは富岡西の住宅街(すぐ下は能見台1丁目)、そして右側にはこれはまたそそられる森への入口が。。。
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入ったら2度と出てこれない悪寒がするので、ここもやはり見なかったことにして先に進もう。(笑)

坂をある程度上ったところに、お地蔵さまがいる。
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岩船地蔵である。
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最後の画像の看板から見るに、なかなかご丁寧なお地蔵さまのようである。(笑)
ちゃ〜んとサイトもあるようなので張っておこう。

長閑な半山道の上り坂は、ここで突然カタストロフな終焉を迎える。
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右画像、古道は右にカーブせず直進、あるいは若干左にカーブしていたはずであるが、そこには道がない。道どころか地盤も無いのである。ガードレールの下は断崖。
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(地理院地図を加工)

カーブした先に、空になった地盤の下に降りる階段がある。
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下に広がっているのは、富岡と能見台のニュータウン、いつぞやも申し上げた京急さんのけしからん(笑)所業によるものである(所業1所業2)。
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浦賀道古道は、この住宅街の上の宙をうねうねと直進し(うねうねと直進?)、中央の白い建物(西富岡小富岡中)の右側の緑地(能見台北公園)のさらに右側をかすめるようにして、対岸の山(小中学校の後ろの集合住宅が乗っている山)の方へ通じていたらしい。
ざっくりとこんな感じ?(ざっくり!さっくり!)
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京急がこれだけの所業を働いた地盤を掘り下げた理由は、一つには住宅地へのアクセスのための位置エネルギーの節約(普通に坂を減らすためと言え)という意味もあろうが、実際のところは、掘った土砂を金沢沖の埋め立て(いわゆる横浜シーサイドラインが通っているところ)に使用したという事実をどこかで見たはずだが、それがどこかは忘れた。だが検索したら、こんな論文が見つかった。
今気がついたが、この先南側、先程対岸と表現した文庫に通じる六国峠ハイキングコースの側はいい具合に段々になっているのだが、こちら側(北側)はここの断崖でわかるように「掘りすぎちゃって困るの〜♪」的な感がある。この無理な段差は土砂調達のノルマの結果か???(さあ?w。この件については、おまけでも考察します)

さて時刻は既に、クリスマスイブの16時過ぎである。
きっと君は来な〜い〜♪ おくすりっ!♡(牧瀬のファンなのか?)
そんなわけで、古道が途絶えてしまったことによって、なめこさんのモチベーションも意識もすっかり途絶えてしまった。(いや、意識は途絶えてないだろ)
今日の浦賀道歩きは、ここでお開きにしよう。初回にしては今回は随分歩いたぞ。このペースなら、大津まであと2回で(終わりません)
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(地理院地図を加工)

さて、どうやって帰ろうか。あ。何か見えない力が私をっ。。。(はい?)

おまけへつづく

新川橋交差点からの分岐、
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これはまた、実に古道度の高い道路である。(古道度?)
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この道幅に萌える♪。

川と山の間の狭いスペースを古道は進む。
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この辺りから地名は、横浜市磯子区田中1丁目となる。2丁目笹釜(あ。また略した)の向こう側(西側)。
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田中とはまた実にマー君な地名なのだが、その由来について調べてみるに、あいにく磯子区には港南区みたいな地名の由来ページが2019.7現在ない。仕方がないのでWikipediaを見ると「現在の二丁目にある薬王寺の奥の院本道薬師如来像が水田から出現した事に由来する」とあり、出典も明記してあるので一応信頼してよいだろう。別に薬師如来が出てこなくたっていいじゃん、などという野暮なツッコミはいけない。(だったらわざわざ書くなよ)

左側高台の上のお寺、妙蓮寺。とくに寄っていないのが入口の画像だけ。
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笹下川
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ここも微妙な感がある。
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振り返ってみたところ。やはりカウントするほどのではないかな。
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お、ここもか?
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ここで交差する道(左方向への上り坂)に乗るための段差で、さらにその先に下り段差がない状況からこれまで通りプチ段丘に乗っただけらしい。

それよりも、ここの左の角のところにかねさわ道の案内板がある。
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この地図を見るかぎり、ここまでのところはだいたい順調のようである。
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(地理院地図を加工)

道を渡ると、地名は栗木1丁目に変わる。
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栗木の地名については、こちらもまた安易に出典明記済みのWikipediaを引用すると、「「くり」は、古語で物の位置すべきところを指す「座(くら)」が転じたもので、「き」は「城」から転じたものと考えられ、横浜南部の古い広域地名「久良岐(くらき)」の語源になったと考えられている」ということ。いわゆる現在の横浜市の西区、中区、南区、磯子区、金沢区のだいたいと港南区の半分を占めていた「久良岐郡」の素となる地名であるらしい。
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このちょっと先で、道の左側が杉田2丁目になる。そう、京急さん快特特急がジェットコースター状態で暴走する、あの杉田である。(笑)
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白い坂道が〜♪(はい?)
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笹下釜利谷道路県道22号)が見えてくる。浦賀道笹釜(略すなって)に戻るようだ。(右画像)
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旧道出口近くに馬頭観音の石塔がある。
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県道に合流するとすぐに、今度は環状号線との交差点である。
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白い坂道が〜♪(ユーミンもういい)

だがその手前でまた旧道分岐。
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この斜め左に入った道は杉田新道前記事で申し上げたとおり、そちらがここまでの笹下釜利谷道路県道22号の続きである。環状3号との栗木交差点に直進する笹下釜利谷道路はもはや県道ではない。

ここから、笹下釜利谷道路を直進するこちらのテキストとは別経路になるが、そのことについては後で議論する。

我々が入った杉田新道はこのまま直進し、大岡川流域東京湾側との分水嶺を越え、京急杉田駅を経て、JR根岸線新杉田駅の方へ向かう。一方古道の方はここで右(右下の車がいるところ)に入る。
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この右折方向は根岸線のガード(線路左方向が新杉田)の下で笹下釜利谷道路に戻るが、古道はすぐ左へ入る(左画像、左の電柱の手前)。
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地上を走る根岸線の線路にぶつかるが、踏切がないので渡れない。こういう場合、向こう側に道が続いていたりするのが見えるはずだが、、、見えないぞ!、邪魔だ根岸線(笑)
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やっといなくなった。。。十両編成めっ!(笑)
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おわかりになりにくいかもしれないが、建物の間、白いガードレールが見えるところがこの道の続きである。

そちらへ回ろう。あれ?誰か呼んでいるぞ。手を振っておくか。(?)
先程のガードの方へうにうにと迂回する。(右画像はガード振り返り方向)
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まもなく環状3号との交差点だが、
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その手前を左に入る道が、先程の踏切の先の道である。
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線路をはさんで先程の道が見える。おーい、過去のなめこさ〜ん。あ、手を振ってくれたぞ。(だからそういう茶番はやらんでいい)

回れ右して、古道、順方向の続きである。
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今昔マップで見るかぎり、杉田新道に入ってからここまでの経路は微妙なズレズレ感(ズレズレ感?)がある(例えば迅速測図明治36年(1903年)地形図)。だが道の線形などからみても、だいたいこんな経路であったのかと思うし、こちら鎌倉下道)でもその経路を取っている。もしかしたら杉田新道建設後(大正10年(1921年)地形図)の古道のメンテ形態かもしれない。(実に便利な概念だなw、メンテ形態)

笹釜(略すなーっ!)に戻って、すぐに環状3号との栗木交差点
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環状2号とは異なり、なぜかここは立体交差になっていない。環状3号、軽く見られているのだ。(はい?)

なめこさんがヤングの頃、まあだいたい経路が出来上がっていた環状1号4号とは別に、環状3号はほとんどまだできていない状態で、この付近だけがちょっとだけ開通していた。そしてその当時「じゃあはいったいどこだよ!?」と言われていた全く影も形も無かった環状2号(新横浜駅付近はできてましたよ)が、その後いつの間にやら先にあっという間に全開通してしまった。未だ未開通でどこをどう通るのかよくわからない環状3号は、やはり軽く見られているのである。(なぜ3号をdisる?)

そんなわけでこの楽しい浦賀道歩き(楽しいのかよ?)、短期間のうちに環状2号3号との交差を軽〜くクリアしてしまったのであるが、残りのとの交差はどうなっているのか?(浦賀道は、横浜市の中心部に近い保土ヶ谷から外(南)に向かって走っているから、全環状道との交差の可能性は高いですね)

まずは環状1号線、実はこの浦賀道との交差部分はここだけの話、なんと開通していないのだっ!(いちいち大文字にすんなよ)
環状1号北側は、京急さん神奈川駅前の青木橋からぐる〜んと回って相鉄天王町駅をくぐりそこからは旧東海道、そして我々今回スタートした保土ヶ谷駅西口前でなぜか駅前広場の方に向かい、そこでフェイドアウトしてしまっている。(フェイドアウト?)
環状1号が再始動するのは(再始動ゆーな)線路反対側の国道1号保土ヶ谷橋交差点からである。その間が未成であり、今後開通するとすれば、今井川踏切を渡る辺りがおそらく、浦賀道×環状1号の交差地点ということになる。(×?)
あるいは駅前に入らずに、我々が一番最初に歩んだ凶悪税務署前の(怒られるぞ)狭くなった一通の旧東海道が、現時点での環状1号なのかもしれない。そうなると、例の金沢横丁の道標のあるところが浦賀道との交差点、かつ浦賀道のスタート点ということになる。まさに浦賀道横浜市環状道路とともにあるのだ!(大文字で言い切るなよ!)

さてそうなると、残りの4号はどこで交差するのであろう?
笹下釜利谷道路で(あと京急も)は上に述べたようにが非常に近い距離で交差するので結構盛り上がるのだが(盛り上がるかよ?)、残念ながら4号はかなりずっと先である。それがどこかは、お・楽・し・み・♡(六浦だろ。)

栗木の交差点までが(根岸線ガードから)栗木2丁目、そして環状3号を渡ると上中里町に入る。田端だか王子だかの近所にありそうな地名だが、関係あるのかどうかは知らない。(調べないのか?)

渡ってすぐの、バッティングセンターの先に左斜めに分岐する道、これがまたまた古道である。唐突だが浦賀道はここで笹下釜利谷道路とは永のお別れになる。
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(地理院地図を加工)

県道21号横浜鎌倉線(通称鎌倉街道)、この下には横浜市営地下鉄ブルーラインが走っている。
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この道に出て左方向(上画像で後ろ方向)すぐのところに、そのブルーライン蒔田(まいた)駅がある。こりゃまいっ(そういうのいいから)
蒔田城という城跡がこの近くにあるらしいが、そちらは機会があればまたいずれ。

この先も元々の古道は微妙にくねくねしているようだが、現代の道路の鎌倉街道をそのまま先に進もう。
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この鎌倉街道県道21号)、本当に鎌倉まで行くのかよ、とお疑いの方々のために念のためご説明しておくと、この先県道21号は、日野というところで大岡川境川柏尾川)の分水嶺越えをし、大船には行かずショートカットして、北鎌倉建長寺前を通過し巨福呂坂を越え、鶴岡八幡宮前の若宮大路を経て、無事国道134号滑川交差点に到達する。(県道のコースに関しては、こちらをご参照のこと)

さて、ここであらかじめ申し上げておくが、この先南方向に進むこのレポート、もうこのブログではすっかりおなじみの逆光祭りである(笑)。(←笑うなーっ!)
真っ黒画像や、色調整失敗で変な色合いの画像ばかりになるが、ご勘弁いただきたい。(やだ)

ブルーライン弘明寺駅、右側の商店街を行けば京急弘明寺駅と、弘明寺本体があるはずだが、今日は行かない。前記事にも書いたが、こちらもいずれ機会があれば訪れようと思っている。
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横浜国立大学教育学部附属横浜中学校の前、鎌倉街道の碑
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昭和37年(1962年)というなめこさんの意識のない時代の神奈川県知事の銘があるが、神奈川県知事と横浜市長(ついでに東京都知事)は近年ろくでもない奴らばかりだという偏見しかないなめこさんには、誰のことやらさっぱりわからない。

もうひとつ。横浜国大の素、横浜高等工業学校の碑。
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説明文の面を整形した(でも読みにくい)画像も貼っておこう。
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現横浜国立大学は、相鉄和田町駅から20分ぐらい、坂道をえっちらおっちら登ったところにあって、なめこさんが坂いやん♡とかいって志望を忌避した大学である。(←実際はなめこさんの偏差値が追いついていなかっただけです)
相鉄の新線ができて「羽沢横浜国大」なる駅ができるそうだが、それで実際に以前より便利になるのかどうかは不明。いずれにせよ、偏差値がどん底のなめこさんにはまったく関係のない話である。

先程申し上げたとおり、逆光祭りで交差点名がほぼ読めないが、ここは南警察署前
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お疑いの方のために、中学のすぐお隣の南警察署の画像も貼っておこう。(笑)
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おわかりになりにくくて申し訳ないが、左画像、歩道の先に旧道の分岐がある。そちらへ入る。
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しばらく静かな通りを進むが、
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まもなく県道に戻る(左画像)、と思ったのだが(はい?)県道に戻る直前に左へ分岐するこの道(右画像)、(ひどい画像だな)
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どうやらこれも古道跡らしい。

その先の画像がないのでGoogleさんを貼るが、古道は真ん中に見える駐輪場方向に続いて県道に戻るはずであるが、道は通っていない。

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(地理院地図を加工)

本日2度めの京急さんをくぐり、上大岡駅方行へ向かう。
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地名としては、横浜市南区大岡から横浜市港南区上大岡西に入る。大岡、「上」がつくつかないで区名が違うが、まあ細かいことは気にしない。(気にしろよ)

はこの先の県道に面しているが、ここでまた旧道分岐である。
慰霊堂入口交差点を右に入る。
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この慰霊堂というのが何だかよくわからなかったのだが、分岐の手前を直角に右へ行くと神奈川県戦没者慰霊堂というものがあるらしい。
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(地理院地図を加工)

上大岡の繁華街の裏通りっぽいところを通る。
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裏通りとか申し上げたが、かつてはこちらが本通りであったはずである。
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県道に復帰する。(左画像)
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古道県道を横切って進むのでそれを渡らなければならないが、人間は歩道橋しか渡る手段がない(右画像)。全然バリアフリーじゃないな、神奈川県。

幸いなめこさんは、ぷにぷにしているが今のところはバリアをものともしないので、上に登って様子を見ることにする。
左が今来た旧道を振り返ったところ、右がこれから進む方向。
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関ノ下交差点、ここからは県道22号横浜伊勢原線(通称笹下釜利谷道路)に入る。
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まずは県道の名称の方、伊勢原とは大きく出たものだが(笑)、経路としては、新杉田駅前の国道16号聖天橋交差点から次記事で登場する杉田新道を経て、この道路をこちらへ向かい(つまりここでは県道21号とはベクトルが逆)、この関ノ下交差点で折り返して県道21号と重複した後、環状2号線東海道と合流しつつ、戸塚からはいわゆる大山道に沿って大山の手前、伊勢原まで達するらしい(先程のこちらをご参照のこと)。
ここまで来てV字ターンしないで、環2をショートカットした方がラインとしてはきれいな気がするが、何か大人の事情があるのだろう。(笑)

一方、笹下釜利谷道路、この通称はどなたがお付けになったかは存じ上げないが、県道のように途中で杉田の方にへにゃっと曲がらないで(へにゃ?)直進、金沢区の釜利谷交番前交差点まで達する。その先も笹下釜利谷道路の範疇に入るのかどうかはよくわからないが、さらに道なりに進むと金沢文庫駅のすぐ前で京急を越え、国道16号君ヶ崎交差点へ出る。(その交差点は次回通ります)

またこの道路は、横浜市の都市計画道路にも指定されていて(ややこしいな)、そちらでの名称はいつぞやも言及した横浜逗子線文庫には向かわず釜利谷交番交差点を直進(現在の道路形状は右折)、六浦まで達したらその先は京急逗子線に沿って逗子へ向かう。
逗子からは小坪を越えれば(くぐれば)すぐに鎌倉である。なのでいささか強引な解釈になるが、ここから先の笹下釜利谷道路は金沢へ向かう金沢道浦賀道前半)のメンテ版、横浜逗子線朝比奈越えをする鎌倉道のメンテ版と申し上げることもできよう。(いや、後者は強引すぎるぞ)

なお、県道がここで分岐するとともに、大岡川も上流方向へ2つに分岐している。それぞれ笹下川日野川笹下川の方が本流らしい)である。県道21号鎌倉街道)は日野川沿い、これからたどる県道22号笹下釜利谷道路)は笹下川沿いの谷筋をたどることになる。
これらの両川の間の高台に、これはまた笹下城という城跡があるらしい。ということを今Wikipediaを見て初めて知った(笑)。まあそちらもまたいつかいずれ。。。

何にせよ、先は長い。(笑)
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笹釜に入って(←略すなっ)5,6分、道路右側に横浜刑務所がある。
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なめこさんも行動を慎まないと、今後お世話になりかねないことになる。あれ?今、青紫ワンピのかわいい幼女とすれ違(やめろ)
この刑務所の前辺りから地名は上大岡西から笹下に移る。笹下の地名の由来はこちらによれば、前出の笹下城を築城した間宮氏の出自が近江国篠筍(ささき)郷(あるいは佐々木?))であることによるものらしい。

は若干上り坂、右画像の辺りが
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そういえばここで机上で行ったのカウントを今回はやっていないが、ここは前記事の清水ヶ丘越えにつづく2番めのとなりうるのかどうか。単に笹下川からちょっとだけ離れて、超プチ段丘に乗っただけであるかと思うのだが。(ないない)

まもなく環状2号との交差点、立体交差である。
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その前にこの建物(事務所か店舗の跡?)の脇に、これがある。
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鰻井戸である。鰻丼ではない。(はい?)
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環状2号の立体交差が見えてきた。
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打越交差点、要は上の環状2号の入口である。
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指定方向外進入禁止の標識が何やら大変なことになっているが。。。

向こう(釜利谷方面)から来ると、環状2号外回りの入口(青丸)の手前にもう一つ道路(赤丸)があり、何事にも迂闊ななめこさんは何度か引っかかってそっちの道に入ってしまい、薬屋さんの駐車場でターンして戻ったりしている。(笑笑笑)
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まだまだ先は長い。(さっきから1kmしか進んでないじゃないかよ!)
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日下小学校前の歩道橋。
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ぷにぷにしてるがバリアをものともしないなめこさん(その言い回しやめろよ)はこれに登って、右奥を流れる笹下川の様子を眺めてみる。(冴えない写真だなw)
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先へ進む。
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新川橋交差点
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ここにまた旧道分岐が。。。
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(地理院地図を加工)

ここからの古道は、距離も長くなかなか素敵なので、次記事へ回す。
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(地理院地図を加工)

2016年12月24日、クリスマスイブの横須賀線保土ヶ谷駅である。
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きっと君は来な〜い〜♪
深津ちゃんである。(またえらく古いネタを持ってきたな)
「おくすりっ!♡」の人でもいいんだぞっ。(誰だよ?)
はいはい、ここで「クリスマスイブに何やってんだ」とか突っ込まない。(何やってんだ!?。ってそれ前にやった)

さて、始まりました、街道をGo!Go!、時系列的には最初の街道になる。果たしてそれはどの街道でしょうかっ!?(ぱらぱらぱらぱらぱら。。。)(ぱらぱら?)
浦賀道だぁーっ!(←わかってるから)

保土ヶ谷駅西口の駅前広場である。
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保土ヶ谷は、東海道品川から数えて4番めの宿場町、正面のビルの前辺りに旧東海道がある。(ちなみに現在の東海道国道1号線は線路の反対側の東口側)

東海道の宿場なのに、なぜ東海道線は通過し横須賀線しか停まらないのか?などと突っ込んではいけない。大人の事情があるのだ。(ねーよそんなもん)
その証拠に、横須賀線新川崎に迂回する前の東海道線川崎駅も通過してたんだぞ!(何の証拠だよ!?)

旧東海道を左方向(南方向)へ歩くと保土ヶ谷税務署がある。このときは、この2年後にここにお世話になるようになるとは思ってもみなかった。(笑)
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この税務署、管轄は横浜市保土ケ谷区、旭区、瀬谷区で、その管轄領域のおそらく80〜90%が相鉄沿線の住民であるにもかかわらず、なぜか最寄りはJR横須賀線である。これは明らかに納税者の利便をまったく考えない、無能な役人根性丸出しの国家レベルの嫌がらせであろう。(笑)
だがまあ健常者であれば相鉄天王町駅から歩けない距離でも無いので、JR関内駅からさらに歩かされる上に交通費も出さないような職安よりも遥かにマシであるのかもしれない。国税庁>>>厚生労働省である。(何の比較だ)

この凶悪な税務署の少し先に四つ角があり、そこに金沢横丁の道標が立っている。
まずは道路右側にある現代の道標
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そしてこちらが左の横丁側にある昔の道標
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実は、これらの道標は現在移動している。Google Street Viewの時計マークでその変遷を見てみよう。

上の画像の時点では道標さんたちは白い幕の前のよくわからないところに立っているが、元々は白い幕の位置に古い家屋があった。(2016年5月のStreetView)


こんなところでもたもた走っていると後ろから煽られるのだろう(笑)、Googleさんが猛スピードを出しているせいか、ジャストミートで真ん前の画像がなくて分かりづらいが、左の横丁側から旧東海道を見る方向で、左の角のところ、標識と電柱の間に道標さんたちはいる。
そしてこの辺りの土地は整理されてしまい、道標さんたちも何か変なところ(駐輪スペースの向こう)に移動させられてしまった。(2018年10月のStreetView)


全体的に後ろにずずずっと下げられた感じである。

それはともかくも、この道標さんたちの前の道(旧東海道から左折方向になります)から、いよいよ本格的に浦賀道(現代の道標ではかなさわ・かまくら道)の始まりである。
あらためてはりきって行ってみよう。
浦賀道Go!Go!Go!(←やかましいわ!

線路方向に向かい、踏切を反対側に渡ると、国道1号
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画像が無いが、この踏切手前で帷子川支流今井川を渡っていることをご記憶に留めていただきたい。

国道を横切って正面の道に入る。
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いきなり上り坂だが、少し登ると国道からの入り口の案内板にも書いてあった政子の井戸がある。
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この政子とは、義務教育を受けた程度の知性のある方ならどなたでもご存知の、あの源頼朝の妻、夫婦別姓時代の北条政子さんのことである。さすがはかなさわ・かまくら道である。(何が?)
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どこだかの「雅子さん」と同様、いきなり征夷大将軍の奥様を「政子」とか呼び付けにするのは失礼極まりないのであろう、「御所台の井戸」と呼ぶほうが一般かもしれない。

坂は怒涛の急坂になる。
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この坂は、先程の説明板によると石難坂(石名坂)というらしい。
私はある事情でこの坂を何度か登ったことがあるのだが、色々と嫌なトラウマがあるので思い出したくない。(だったら書くなよ)

坂を上りきったところにある、横浜清風高等学校
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昔は違う名前だった気がするが、色々とトラウマが(やかましい!)

学校の先の四つ角、
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進行方向をY軸とする二次元座標で第一象限のところに北向地蔵さんがいる。
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四つ角を右(X方向)へ行けば「くめう寺道」、つまり京急さんの駅にもある弘明寺方面である。弘明寺の門前は、一時期横浜市内で一番栄えていたという話をどこかで聞いたか見たかの記憶がある、行ったことは無いが一度訪れてみたいと思っている。

なめこさんトラウマ満載の石難坂を上ってきたこの辺りは、先程横須賀線の踏切手前で渡ったはずの今井川とこの先出会う大岡川との分水嶺にあたる。
四つ角の左方向(-X方向)はその分水嶺尾根道尾根自体はその末端の掃部山御所山まで続いている(野毛山尾根としておく)。

Y方向のこの先は若干下っている感じではあるが、ここでも申し上げた通り、実際の古道の経路は谷頭(ドンドン商店街へ下る谷)を微妙に右へ迂回していたらしい。
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右側の路地に入ってみたりもしたが、古道の痕跡のようなものはよくわからなかった。なので、ここは気にせず直進してしまおう。

地名としては、保土ヶ谷駅周辺を含んだこの辺りは岩井町になる。あああっ!トラウマがっ!(めんどくさいなあ)
何と言っても保土ヶ谷は、街の灯りがとてもキレイなヨコハマから一駅である。ランドマークの見え方が非常に近い。
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因みにこちらのも、若干谷頭をかすめたとはいえ野毛山尾根支尾根清水が丘尾根としておく)の尾根道である。

は2つに分かれる。どちらも線形的にはありだが、ここは本道っぽくない右分岐が古道であろう。(は?)
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土塁状のものに阻まれは左にカーブするが、実際は直進していたはずである。
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この土塁の向こうの崖下には首都高速神奈川3号狩場線が走っている。

階段を上って橋を渡る。出逢橋
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なぜかこっち方向の画像しか無いのだが、首都高西方向。
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煙突(狩場の横浜市環境事業局保土ヶ谷工場・塔マップ)左側のとんがった山が、おなじみ大山富士はその左の雲の中かな?
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(地理院地図を加工)

を渡って振り返ってみる。おわかりになりにくいかもしれないが、高速の向こう側電柱が2本並んでいるのが、先程のカーブする前の方向である。
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墓地の脇を進む。
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左側のフェンスの向こう側は清水ヶ丘公園である。
先程の二又の少し手前から保土ヶ谷区南区境界であったが、この辺から本格的に横浜市南区に入る。

反対の右側、坂道から見える眺望が良い。大岡川流域の谷。
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む?公園側のフェンス越しにあったこれはなんぞ?
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何かの基準点ではあろうと基準点成果等閲覧サービスを調べてみるが、近所に街区多角点はあるがこれはどうも違うようである。
拡大してもわからない。(笑)
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こういうときには一番頼りになる三角点探し隊のサイト〈リンク切れ〉にも、あいにく載っていない。
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少し行くと、今度は急な下り。
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坂の下り始めに清水ヶ丘公園の入り口がある。
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左画像、左手前辺りに位置する公園内の広場から南方向(大岡川方向)の眺望が非常に良いのだが、今日は寄らない。
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さらに下り。
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ここで京急さんをくぐる。ほぼ南太田井土ヶ谷の中間辺り。
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地名としては、南区南太田2丁目3丁目の境界。政令市の方角名や瑞祥名の区はだいたいどこにあるかわからないことが多いが(笑)京急さんの駅で、黄金町から先、南太田井土ヶ谷弘明寺までを南区と把握しておけばよいだろう。

少し先へ進むと、南センター入口交差点
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信号しか写っていないのでおわかりになられないかと思うが、交差しているのはかなり広い道路である。神奈川県道218号弥生台桜木町線。地元的には「平戸桜木道路」の方が通じるかもしれない。詳しくは語らないが、桜木町から戸塚区の平戸まで通じている道路を、さらに相鉄線弥生台駅の方まで延長するということらしい、
一見地味な道路ではあるが、車でこの辺りをぶいぶい運転していると(ぶいぶいするな)、いつの間にかこの道を走っている程度に使い勝手の良い道路である。(いつの間にかってなんだよ?)

平戸桜木道路から先は井土ケ谷下町
地域的には井土ヶ谷・蒔田地区でまとめられているこの辺りは区画整理が行われていて、元々は微妙にくねくねしていたらしい古道の痕跡はやはり無いであろうから、ここもこのまま適当に直進しよう。
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蒔田橋交差点
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交差点を左へ行けば蒔田橋大岡川を渡る。
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やがて大きな通りに出る。
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神奈川県道21号横浜鎌倉線、通称鎌倉街道である。

浦賀道は、この鎌倉街道を右折方向にしばらく進む。
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(地理院地図を加工)

野毛山尾根清水ヶ丘尾根を越える行程の本記事のタイトルを「清水ヶ丘越え」としたが、例によって一般には通用しない表現であるのでご注意されたい。(笑)
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(地理院地図を加工)

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