うに°うに°ぷにぷに別宅

こちらは、うに°うに°ぷにぷにZ の別宅になります。

2016年12月25日

毎回波乱含みのこのブログである。(波乱含みというか波乱そのものだろ)
この先少しして、なんとあの恐ろしい電池切れが起きてしまった。
だが大丈夫だ。なめこさんは切れていない💢(←切れてんじゃねーかよっ)
幸いiPhone4という、写真を撮影すると微妙に解像度が緩く彩度アゲアゲになる強い味方がいるので(強い味方か?)、そちらの画像である程度フォローし、それと今まで内緒にしていたが(なぜ内緒?)、この古道歩き保土ヶ谷から始める前にあたって、これまで古道として未踏であった金沢文庫から先についてちょっとだけ「下見」を行っている、そのとき(2016.11.23)の画像が若干あるので、それらも併用することにしよう。

古道はこの先にちょっとしたクランクがあるが、その手前左側に知足山龍華寺〈真言宗〉(公式)がある。「りゅうげじ」と読む。
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ここには色々なオブジェがありそうである。(だからオブジェゆーな)
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どちらも拝見していないので、ここは一つ、伝心寺の毘沙門天さんにつづいて横浜金澤七福神の大黒様にご登場いただこう。(代役扱いかよ!)
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奥へ向かう。
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このししおどしを延々と撮影した動画があるが、手ブレで観るにたえないので公開しない。(しろよ!)
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お寺に並んで洲崎神社 神奈川県神社庁)がある。
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洲崎神社に気を取られたせいもあるかもしれないが、やっぱりiPhoneの電池が無くなってパニクってたのであろう。龍華寺洲崎神社の真ん前に古道クランクがあるのを見逃してしまった。
それも後日(2019.9.19)フォローしたので、ここに挿入しておく。(リアルで完結する努力しろ)

クランクはこんな感じである。
Suzaki
(地理院地図を加工)

旧国道にしたとき、車社会になりつつある世でスムーズに流れるようにクランクを解消して緩やかなカーブにしたということなのであろう。

このブログは毎度わかりにくいと全米が泣き叫ぶほどの絶賛公開中なので、以後の記述には以下の地図でフォローすることにした。ご参照されたい。
Suzaki2
(地理院地図を加工)

まずは、龍華寺の脇でカーブする旧国道から見て、まっすぐに入る路地がある。これが古道ということになるであろうか。(から方向)
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このいかにも「行っても無駄」感の炸裂する看板を横目に見て、古道と思われる路地へ入ってみる。
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右へ曲がっているこの道の形状は、むしろ左へ曲がる気満々である(笑)(左画像。の位置)。だが、左側は建物で塞がれている(右画像。から方向)。建物の幅は道幅にほぼ等しく、いかにも不要になった古道の土地にぴったり建てますた感がある。
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ここで念のため振り返り方向。この古道と思われる道は、京急バスがいる辺りにほぼ直線的に伸びていた様に見える。(から方向)
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古道を塞いている建物の反対側を見てみよう。間に路地が一本割り込んでいるので()、そこへ入ってみる。
色々ご近所の方々が写り込んでしまうので不自然な画角だが(笑)、真ん中の電柱の右側が先程の建物の反対側(左画像。から方向、やや反時計方向斜め)、そして今いる道を挟んだ反対側の古道の続きと思われる位置には防災用機材庫がある(右画像。から方向)。右側の白い建物が、古道の右縁になるのであろう。
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さらにその延長線上の旧国道に出てみる()。
左が、先程の白い建物、その右のピンクの建物が機材庫の裏手にあたる(左画像。から方向)。このピンクは消防団の建物である。(右画像)
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最初の道を塞いている建物は何だかわからないが、あとの機材庫と消防団は、どちらも公共の施設であるところがミソであろう。

消防団の建物を背にして、古道の進行方向と思われる方を見てみる。非常にわかりやすいほどに不自然に広い旧国道の歩道と、これはまた直進する路地が見える(から方向)。
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おそらくは、正面路地右側の濃茶の建物の前の歩道の縁で、古道は直角に右折していたのだろう。

正面路地から振り返り方向(から方向)。ちょうどミラーの裏側から古道はこちらへ向かってきて、左側のタイルの歩道へ直角に曲がる。
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曲がった方向(から南南西の方向、古道の進行方向)、タイルの歩道上の古道がスムーズに旧国道に合流するのがわかる。
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因みにだが、この区間の旧国道後半右カーブで歩道が広いのはわかるが、前半左カーブのお寺、神社側の歩道も広くなっているのは十分怪しい。もしかして旧国道(車道部分)のメンテは一度だけではないのかもしれないが、ここは深く追求しないでおく。

ここから先は、一番最後の画像を除いて2016.11.23の画像になる。(iPhone4の電池も切れかけているらしい)

まもなく古道に面する。瀬戸ノ内海東側の半島の先っちょの一つに達したのである。
に面した古道はT字路を直角に右へ曲がるが、角の右側にいかにも道路がカーブしてましたよ、的な空間がある。
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こちらも国道になった古道をメンテしたものであろう。その後瀬戸ノ内海内の直線の新国道ができ、使命を終えたこちらの旧国道は線形的に元の古道の形、T字路に戻ったのである。

律儀ななめこさんは、普段のようにカーブを斜めに突っ切るような横着をせずに(どこが律儀だよ)古道の通りT字路まで出て右へ曲がる。
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因みにここの交差点名は洲崎町交差点
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カーブスペース部分に、明治憲法起草の碑(憲法草創之碑)がある。
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実際の場所はここより40m先のこの辺りであったらしい。
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瀬戸橋
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元々は瀬戸ノ内海を渡る橋であった。今は宮川を渡る。 

左側(平潟湾側)
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右側(瀬戸ノ内海側)。
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瀬戸神社前交差点。ここで新国道、現在の神国道16号線に一旦合流する。
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なんかものすごい崖の断面が見えるのだが。

歩道橋の上から、進行方向(横須賀、浦賀方面)を見る。
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先程の崖の断面の左側の裾に瀬戸神社がある。
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今回はここで終了、このまま古道筋をたどれば金沢八景駅前に出られたはずだったが、そうも行かなくなっていた。などという話は次回でする。
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(地理院地図を加工)

iPhone4たむが最後の電気を振り絞って(はい?)撮影した金沢八景の駅のホーム。
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この名所案内、かなりの昔からあるものではないかと思うのだが、ずっと残しておいてほしいな。

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(地理院地図を加工)

おまけ2へつづく

このかわいらしい神社、君ヶ崎稲荷神社神社人)、
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そのすぐ先に次の古道分岐があるだが、そこで私はミスをしてしまった。

君ヶ崎交差点を左に入る広い道、これを古道であると思いこんでいたのである。
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実際はその少し手前で左にほぼ直角で入る道、こちらが古道である。(2019.9.15の画像)
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因みに君ヶ崎交差点、Googleさんのお力をお借りすることになるが(お借りしてもなめこさんは返却しません)、右へパンしたこの京急の線路を越える道路、

これが、杉田バッティングセンター前でお別れした笹釜こと笹下釜利谷道路、あるいは釜利谷から先は何だかよくわからないから"The Road Formerly Known As Sasakama"かな?(またプリンスかよ)の最終形態(最終形態ゆーな)、涙の再会である。
しかも向こうはここで終点だから二度と会えない。。。。・゚・(*/□\*)・゚・。(どこのコピペか知らないが絵文字いらない)

交差点的には笹下釜利谷道路につながっている左に入る広い道は、かつての国道16号である。リンクした今昔マップの地図(左側)が昭和41年(1966年)であるから、それほど大昔のことでもない。
八景瀬戸神社に到達するまでのこの旧国道は途中で古道に合流し、浦賀古道のメンテ形態と言うことができる。だがそれ以前のオリジナル古道が現存しているので、それを見逃すわけにはいかない。Googleさんで突き進んでも良いのであるが、現存している古道はできるだけこの足で歩きたい。
よって後日フォローした画像があり、おまけにするほどの分量でもないので、後ほど挿入させていただく。

その前に、なぜここで古道そして旧国道が、現在の国道の様に直線で金沢八景瀬戸神社方向へ向かわず、上地図の青ラインの様に東側の旧市街に迂回してたのかについて検証してみよう。
何?そこに旧市街があったから?いや、それだとボーッと生きてんじゃねーよ!レベルである。正解をチコちゃん風に言うならば、「沈んでしまうから〜」である。(いかにもあの番組らしいゴリ押し正解だな)
つまり、現国道金沢八景までの区間(町名は泥亀(でいき)。開拓した人の号に由来する)が)であったからだ。

かつてのこの金沢付近の海岸線を知るには、いつもの地理院地図の地形分類(自然地形)レイヤーが使えるかと思ったが、残念ながらダメ。地形の年代設定が昔すぎるせいか、古道も何箇所かぶくぶくの藻屑として沈んでしまうのである。
なので、以前の記事でちょっとだけリンクさせていただいた、こちらの地図でご覧いただくことにしよう。
アーカイブなので、既に消滅していたらご容赦願いたい。苦情があれば、無駄にサイトリニューアルを行う横浜市の方へ、「IR誘致問題の件」とともにお願いする。(リニューアルされたみたいなのでリンク貼り直しました。なおIRの件も別途リニューアルされたらしいです(笑)。2022.3)
主に 【南部】の地図をご覧になっていただければよろしいが、いつ消されるかわからないので、の部分を地理院地図にトレースしたものを以下に貼っておく。
KanazawaSea
(地理院地図を加工)

ご覧になればおわかりになるように、君ヶ崎交差点から先の現国道部分はおろか、金沢文庫の駅も駅前の商店街も小田さんのお店も(誰?)総合車両も徴用工の皆さんのお宅も、全部だったのである。幸い金高市大の奥の方は無事だが。(何が幸い無事だ)

能見堂から下ってきた古道は、君ヶ崎に出て、変な湾に沿って東へ迂回し(変な湾ゆーな)瀬戸橋変な湾の入口部分を渡って(だから変な湾ゆーな!)対岸の瀬戸神社へ渡るコースを取っていた。
こういうときに一番頼りになるこちらのサイトのこちらのページから引かせていただくと、
変な湾の名称は、「瀬戸ノ内海」というらしい。どこかで聞いたような名称だが、あの四国とどこだかの間にある、弟がぎゃんぎゃん泣く花嫁がいる海じゃないぞ。(どこだかってどこだよ?)

もう一つある南の変な湾の名称が明確ではないが(変な湾ゆーなーー!!)、そちらは、現在シーサイドラインが渡る狭〜くなった平潟湾の元形態という認識で良いのであろうか。
こちらでも古道六浦の交差点から内川橋の先までの現国道の様に直進はできず、を今度は西側に迂回している。途中、ルートが侍従川)に沿って無駄にとんがっているのは、本来の鎌倉道がその侍従川を渡ったところ(諏訪之橋)で浦賀方面への道をあらためて分岐させたからであろう。鎌倉道の方は、諏訪之橋からさらに侍従川に沿って西へ向かい、朝比奈越えをして鎌倉へ到達する。
そちらの平潟湾迂回の古道ルートのレポートは次回になるので、できればご記憶におとどめおいていただきたい。
KanazawaSea2
(地理院地図を加工)

金沢、六浦付近のだいたいの海岸線古道のルートをおわかりいただいたところで早速、君ヶ崎交差点手前の古道分岐から先に進もう。しばらくは2019.9.15の画像になる。33ヶ月ほど未来へワープしよう。
ワーーーーーープ!!!(←やかましい!)

先程の君ヶ崎交差点の手前から始める。レディースクリニックの方へ曲がる。
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レディースクリニックに到着である。(いや到着って)
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左折してから道の右側の地名は寺前1丁目寺とは称名寺のこと)、左側はここで(右画像)谷津町から金沢町に変わる。

この分岐は右。
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道路の両サイドが寺前1丁目になった。ここからバリバリの寺前である。(何がバリバリだ)
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ここで旧国道に合流である。厳密に言えば旧国道の方が浦賀道に合流してきたのだ。
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Bunko-1
(地理院地図を加工)

この先はこの記事の日付の画像があるので、33ヶ月ほど過去へワープしよう。
ワーー(黙れ!)

右カーブ。八景島を目指そう!(いや目指さない)
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この先、古道旧国道から微妙にくねっているところがあるようだが、あまり気にせずメンテ形態である旧国道を進む。

道が右カーブしきる左側、振り返り方向に神社がある。こちらもちょっと立ち寄らせていただこう。
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金澤八幡神社横浜金沢観光協会)。
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まだ15時台だが、日が赤い。

神社右方向は称名寺称名寺古道から離れていることを理由に、今日はスルー。(それさっき言った)
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この辺から地名は町屋町へ替わる。

八景島を目指そう。(黙れ)
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あれ?正面に見えているもっこり山は鷹取山かな?
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町屋交差点である。2019.9.16の画像)
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(地理院地図を加工)

ここから先、寺社が多くなる。
以下でご紹介するのは、全然信心深くないなめこさんが適当に目についたものにうにうに入っていったもの、あるいは金沢文庫駅前交差点分岐入口にあった地図に載っていた場所についてこれはまた適当に後でフォローした分についてだけのもので、その選択に深い意図はない。スルーしてしまったお寺や神様はごめんなさい。

位置の順番でご紹介するので、まずは後日(2019.9.15)フォローした分から。

町屋交差点、右方向に鳥居が見えるが(右画像)とりあえず置いといて、左方向にあるという傳心寺へ向かう(左画像)。
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あれ?ないぞ?と思いつつ80m程歩くと、左側に参道がある。
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嗣法山伝心寺〈曹洞宗〉(横浜金沢観光協会)。
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ここには横浜金澤七福神の毘沙門天さんがいる。
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そして左奥のお墓の前には、たくさんのお地蔵さんがいた。
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交差点に戻って正面に見える鳥居を目指そう。
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町屋神社 神奈川県神社庁)。
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由緒書きにあった運慶作といわれる鳳凰の乗っかった御神輿は、この中にあるのだろう。
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当日に戻る。
道路右側にお寺がある。入ってみよう。
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法爾山天然寺〈浄土宗〉(浄土宗寺院紹介Navi)。
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次は左側、日蓮宗のお寺。
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福船山安立寺〈日蓮宗〉(日蓮宗ポータルサイト)。「あんりゅうじ」と読む。 
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先程のリンクによれば)文応年間(1260)に改宗したということは、まさに当時ブイブイ言わせていた日蓮さんにオルグされたということである。(ブイブイゆーな、オルグゆーな)
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例によって読めないくせになめこさんが勝手に撮ってきた右画像の石塔、とりあえずお読みになれるものであれば、是非お読みいただきたい。
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先へ進もう。八景島を(ねーよ)
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地名は洲崎町に替わる。

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(地理院地図を加工)

能見堂から下り傾向の古道を進む。
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また広場のようなところに出る。
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右側に階段の分岐。
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これも案内図に載っていない道だが、図から判断して古道側から「昆虫広場」へアクセスする分岐らしい。
先程も申し上げたように尾根道の方も歩いてみたのだが、そもそも「昆虫広場」なるものがいったいどこにあったのかよくわからなかった。まあそのへんはいいだろう。なめこさん、虫きらいだし。(笑)

いかにもな古道の趣のある道を進む。
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次の分岐点である。そういえば能見台六丁目分岐にもあったオリエンテーリング(横浜金沢(PDF))のポストがここにも立っている。
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ここで右側から尾根道が合流(右画像)、左には能見台5丁目の住宅地へ下る道がある(左画像)。
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この住宅地への道には馴染みがある。
2010年頃、ここから先の道(つまり文庫駅側の入口から数百メートル)が 通行止めになったことがあった。当時鎌倉古道歩きをやっていた私は、その一環としてこのハイキングコースを踏破しようとしたのだが、通行止めのことは全く知らず、文庫の駅まで来て初めてその事実を知ったのである。
記念にそのときの画像(2010.6.4)を貼っておこう。(何の記念だよ)
前から何だか色々回り道をさせられて、たどり着いたのがこの入口。
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ここから上ってくると、今のこの分岐に出る。
文庫駅方面は通行止め。
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当時は今ほどワイルドでなかったなめこさんは、この向こうへ行ってみようという考えは毛頭起きなかった。(今でもやめろよっ!)
ちゃんと正規の入口側(文庫駅側)も見てきたぞ(笑)この場所
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復旧している道。こちらもいかにもな切り通し状の古道を進む。
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この辺りでかつて落石があったのであろう。
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崖にネットが張ってある。
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下り坂である。そろそろ山道も終わりであろう。
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石塔がある。金沢道石塔群と呼ばれているらしい。(六国峠の道(横浜金澤散策コース)横浜金沢観光協会
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それぞれ拡大して表面がわかるようにしてみようと思ったが、逆光画像なので歯が立たない。(笑)
幸い、能見堂の石塔同様、2014年の画像(例の通行止めが解除されて、なめこさんが嬉々として再訪したときの画像)がある。(以下4画像は2014.4.28)
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それぞれ拡大してみよう。
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真ん中のだけ何だかよくわからないが、あとは何が描かれているかはだいたいおわかりになるであろう。

ここにもどなたかがいらしたのかもしれない。
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道は本気で下りになる。本気と書いて(はいはい)
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こんな図まで書かれると、登りたくなるではないか。(だからやめろよっ!)
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下界が見えてきたぞ。
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ハイキングコースの入口。この先は下界、左に進む。
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文庫駅から来た人は、これらの看板を目印に、この坂(下画像)を上ろう。
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(地理院地図を加工)

左方向へ行くと分岐になっているので、これをまた左へ進む。
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ここにも石塔、庚申塔の皆さんが。
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ちなみに、山道を下ってからのこの界隈の地名は、この先の金沢文庫駅周辺も含めて谷津町になる。能見台の以前の駅名、谷津坂谷津である。あああっ!忌まわしい思い出がっ!(何だよっ!?)

ぐっと右カーブ。
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突き当りを左、踏切が見える。
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先程の観光協会のページによれば、このT字路の角の辺に道標があるはずなんだが、あれ?ないな。
Googleさんで探しても見つからない。と思いきや、過去にはあったようだ。どこかに強制退去させられたのであろうか。
こちらも例の通行止めが解除されて、なめこさんが嬉々としてハイキングコース入口の崖面をよじ登った坂道を上ったときのその前の画像があるので貼っておこう。(2014.4.28の画像)
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どこ行っちゃったのかな、、、道標さん

京急の踏切、京急さんとクロスするのは上大岡以来、これで3度めである。
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右方向に金沢文庫の駅が見える。
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踏切を渡ったところであ、京急さんだ♡なめこさんはシャッター運が悪いので、だいたい踏切を通り過ぎてから電車が来たりします)
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すぐに国道16号に出て右折。
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まもなく金沢文庫駅前交差点(交差点名画像、久々だな)
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信号の下を右に入ったところに金沢文庫の駅がある。
逆に、金沢文庫駅から六国峠ハイキングコースへ向かう方は、東口から国道16号へ出て(その手前、線路側の路地でも可。国道に合流する)北へ向かい、最初の踏切を渡れば良い。後はこの記事のコースを逆へ。(右→右です)

古道の続きは、黄色い建物の左、斜めの分岐である。
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分岐を入ったすぐのところにある地図。
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奥へ進む。
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称名寺へはこの先を左折。そちらは若干の上り坂である(右画像)。
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街道からは離れていることを理由に、称名寺は申し訳ないが今回はスルー。

この道もそうだが、この界隈は一方通行がやたらと多い。道が狭くてこみいっているのは、旧市街である所以であろう。
以前、その称名寺に車で行こうと思ってひどい目にあったことがある。埒が明かないので海の公園の駐車場に停めて、えらく歩いたような記憶が。電車で行けよ)

じきに国道に復帰、200m弱の古道根性なしめっ!(笑)
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合流してすぐ、右画像の左側に小さな神社があるので、ちょっと寄らせていただこう。
君ヶ崎稲荷神社神社人)。
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このすぐ先に次の古道分岐があるだが、そこで私はミスをしてしまった。
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(地理院地図を加工)
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(地理院地図を加工)

以後は正真正銘の古道である。
なおかつ尾根道となったので、多少のアップダウンはあるが、これまでのようなうざったい階段の上り下りは無くなる。
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よくわからないが、ここら辺りは案内図によれば桜の名所であるらしい?
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左は能見台5丁目不動池の方へ下る分岐である。
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このときは、不動池?はぁ?なにそれ?」状態であったが(態度悪いな!)、後でたまたま通りがかった(たまたまだと?)レポートがあるので、それについてはおまけ3をご参照いただきたい。

人里に出る。
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同時にここは釜利谷東分岐
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(地理院地図を加工)

再び山道へ。自然と開発のせめぎ合いの場である。
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ここの眺望が良い。
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おっぱいおっぱい♡。(だから二子山ですからねっ!)
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左に入る道がある。入ってみよう。
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広場になっている。
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説明板によれば、茅葺きの屋根、つまりどなたかのお宅があったらしい。
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元の道に戻り、先へ進む。
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道が3つに分かれている。古道は右、真ん中の階段を上ったところが能見堂である。
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因みに左はやはり不動池へ下る道である(左画像)。とりあえずは右の古道を進む(右画像)。
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開けたところに出た。
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注)以下、画像の状態により、説明板に一部過去の画像を流用していますが、内容は一緒なのでとくにお断りはいたしません。

説明板がある。
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ここからの海方向の眺めが良く、その眺望から金沢の8つの景勝、いわゆる「金沢八景」が生まれたのだそうだ。金沢八景は別に京急さんの企みなんぞではないぞ。(笑)
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かつての江戸時代の人々は鎌倉や江ノ島を観光するのに、保土ヶ谷からまさに我々が辿ってきた道を通って、ここでその「八景」を眺めながらほっと一息ついたのだ。

よし、我々も早速「八景」とやらを観てみよう。
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。。。みえねーorz。
邪魔だ!アーケプラスチダ野郎!
(アーケプラスチダ?野郎?)

少し角度は異なるかもしれないが、先程のおっぱい♡(二子山です!)が見えた、眺望の良い崖のところの画像を拡大してみよう。
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この画像から「八景」を特定しようかとも思ったが、、、
やはりそれは閲覧者の方々が現地を訪れたときのお楽しみとしておこう。(単にあんたがめんどくさいだけだろ!)
参考までに、真ん中やや左、中遠景のもっこりが野島、その後ろの山が右の山(吾妻山)とともに箱崎半島、左の山の後ろに突き出しているビルが中央ザ・タワー横須賀中央、右にちらっと覗いているサンコリーヌタワー横須賀中央駅前、2つの山の間に見えるビルが汐入メルキュールホテル横須賀吾妻山の右のビルがJR横須賀逸見ウェルシティ、ご存知横須賀の高層ビルが勢揃いである。(野島以外八景関係ねーじゃんw)

左側の段高くなっているところが能見堂のあった場所のようである。上ってみよう。
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説明板その1。
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せっかくなので、八景を付けておこう。(「瀬戸秋月」だけ90°回転しているので注意)
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能見堂とは、その字面からすると能を見るお堂があるように見え、私は長い間そう思っていたのだが、そうではないようである。
上の案内板によると、能見堂の名称について「能く見える」だの「のけ(ぞった)堂」など、ダジャレみたいな由来があげられているが、そんな説が出てくるところからもむしろ、能舞台はまったく関係無いのであろう。

元々ここは、大河の主人公になっていない歴史上の有名人ベスト10に入りそうな、にもかかわらずうっかり主人公にしてしまったら大顰蹙を買う有名人ベスト5に入りそうな、望月野郎の藤原道長(酷い言いようだなw)が庵を結んだと言われるほど景勝の素晴らしい場所で、その後しばらくは何らかのお堂があったり無かったりしたらしい。それが江戸時代、寛文というから比較的初期に、ここの領主であった久世大和守広之というお殿様が増上寺から廃院であったお寺をここへ移して「擲筆山地蔵院」として再建したものが主に能見堂と呼ばれていたとのことである。残念ながらそのお寺は、明治になって(1869年)焼失してしまったのだそうだ。
ここはぜひぜひお堂を再建し、ついでにあのアーケプラスチダ共を伐採してくださると良ろしいのだが、そんな奇特な方や地方公共団体がいらっしゃるものかどうか。少なくとも江戸初期、寛文の2つ前の明暦にとっくに焼失し影も形もない江戸城天守を再建しようとする、どこかの馬鹿な参議院議員の公約よりもよっぽど価値があると思うぞ。タピオカの容器統一の予算ぐらいでできるのではないか?(なぜここでタピオカが出てくる?)

もう一つの説明板。
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景勝地にはどこでも石碑がにょきにょきと建つものである。ここもその例に違わない。一つ一つご紹介したいところだが、例によってなめなんとかがところかわまず写真を撮りまくり、どれがどれだかわからなくなっているのでむずかしい。だが(後であらためてリンクするが)非常に有益なPDF記事を見つけたので、そちらの画像を参考にしながら特定していこう。(特定って、何か方向性おかしくないか?w)
以下は、能見堂の敷地内をだいたい反時計周りにご紹介する。

この3つ並んでいるのは、手前から武蔵國金澤碑江耆楼美山句碑一方句碑
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個別の画像もあるが、上の画像もそうだが裏側から撮っているようなので、恥ずかしいので載せない。(笑)
なぜか過去の画像があり(2010.6.4)こちらは方向的には合ってそうだが、字は読めない。(使えねーなw)
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そもそも景勝地の石碑などというものは、景色を見る人に向かって建てるものである。それを、景色側の古道からのそのそ上ってきてそっち側から撮っても裏面に決まっているのだ。(笑)

これは奥になるのかな?「井戸の跡」がある。
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井戸の跡」というよりは、「『井戸の跡』という文字の書かれた標柱」が立っていると言って良い。(その言い方はないだろ!)

それが写り込んでいるから、その手前になるのであろう。山室宗珉居士墓碑
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これも向きが違うんじゃね、と思うが、文字が読み取れるので貼っておこう。
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あ、あっちにも何かあるぞ。
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これは先程のPDFに画像は載っていない。だが文字は読めそうである。
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う〜〜む。さっぱりわからぬ。。。保留っ!(あー)

ここから古道側に下りることができる。
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このいかにもな石柱が文字通り金澤八景根元地碑であろう。
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まさに「この地が八景の生みの親ですよ〜♡」という碑である。この地が無ければ京急さんの駅も逗子線の分岐もシーサイドライン総合車両横浜市大もついでに金高もなかったのだ。(駅も含めて全部関係ないだろ!。ってかなんだよ!?金高って)

いや、だとすると右奥のさっきのこれは何だ?
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先程の説明板で消去法で該当するものは。。。えっと、、、えっと、、、あれ?全部消去されちゃってるぞ?(笑)

。。。。。。先へ進もう。(スルーかよっ!?)

この右側の高くなっている道は、
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尾根道としてこの先上りになるが、
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我々の古道は、その尾根を左側から巻く形で下り傾向になる。
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尾根道の方にも行ってみたが、今回は尾根探索ではないので省略する。いずれご紹介する機会があるかもしれない。
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(地理院地図を加工)

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(地理院地図を加工)

能見堂緑地能見堂とは、この先のハイキングコースにある景勝地の名称である。それについては後々ご紹介するとして、お察しの通り、能見台という駅名や地名もそれに由来する。
能見台の駅は、以前は谷津坂といった。谷津坂には色々と忌まわしい思い出があるがそれは置いておこう(はい?)

この緑地の名称を、うっかり「能見台緑地」とせずに「能見堂緑地」としたのは実に賢明である。張本さんなら「あっぱれマーク」をつけるであろう。(は?)
ところが、この緑地全体の地名はハイキングコースに沿って細長く「能見台森」となっている。なぜ京急さん企み 仕業  開発で住宅地に命名した地名を自然の森にまでつけるのか。実にけしからん。最近評判悪い張本さんなら(?)喝っ!である。(ってかなんでサンデーモーニングネタが出てくる?)

そんなわけでいよいよ能見堂緑地の入口
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ここから山道である。浦賀道2度めの山道っ♡!(そのピンク促音ハート止め、暑苦しいからやめろ)

金沢文庫駅近くから鎌倉天園まで、途中動物園もあるぜよ、の六国峠ハイキングコースである。古道はその途中からハイキングコースを辿り文庫方向へ向かう。
だが騙されてはいけない。(はい?)
前々から以尾根道となっているはずのこの道が、緑地に入った途端下りになるのはおかしいと思っていたのだ。確かに今昔マップを見てみると、左へ(東へ)カーブした古道はしばらく尾根に乗った後、標高的には一段下の能見堂方向の尾根に乗るために、徐々に今の尾根から南へはずれ下りになっている。だが実際にお歩きにあればおわかりになるかと思うが、ここまで下るのかよっ!ぽっこりおなかで機嫌の良いはずのなめこさんがイラっとくるような激動の下りなのである。

先程の今昔マップでなぞって頂ければおわかりになるかと思うが、古道は、現在の六国峠ハイキングコースよりも途中までは北寄りのコースを通っている。ではその古道だった部分は現在どうなっているかと申し上げると、地下に潜った横浜横須賀道路金沢支線と、その周囲に建設された集合住宅地になっている。逆に申し上げれば、それらに古道を辿るはずであったハイキングコースが下へ追いやられてメンテ形態になったということになる。
因みにここの集合住宅地も京急仕業開発によるもので、その名称を「横浜京急シティ能見台」という。この近辺のバス停名からして「シティ能見台」と略してもいいだろう。シティ能見台は、区域ごとにさらにふれあいの街とかいこいの街とかの名称がついている。古道の通過する集合住宅の区域は概ね、シティ能見台つどいの街、地名で申し上げると能見台4丁目の東側境界付近になる。
そういうわけで本記事でも先出しさせていただくが、例によって浦賀道古道青ラインで、能見堂緑地入口から金沢文庫駅付近までの六国峠ハイキングコースに相当する部分について描いたのが以下の図である。
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(地理院地図を加工)

能見台4丁目付近を拡大する。
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(地理院地図を加工)

よく見ると、ハイキングコースよりも北側、能見台4丁目ふれあいの街つどいの街側で、青ラインに近いコースを辿れそうな道もあるが、今回はハイキングコースの方を辿ることを優先したので、そちらは検証していない、だがこれを書いているごく最近に、例の能見台北公園内のルートとともにこちらも検証したので、おまけ記事としておく。
なお、メンテ形態だの元のルートだの色々と錯綜しているので、本記事のラストにそれらをまとめた地図を載せておく。

ということで前置きが長くなったが、早速能見堂緑地にうにうに入ってみよう。
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はいはい、振り向いて港ヨコハマ方面。
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港ヨコハマファンの方々には残念だが、我々がこれから目指すのは金沢湊である。(←何か気の利いたことを言っているつもりらしい)

階段と坂を上りついたところに、ハイキングコース案内板がある。
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そこから一旦下に下りると、右、動物園、天園方面(西方向)と、左、能見堂、文庫方面(東方向)のT字路がある。(注:下2枚は、道標に向かって(振り返り方向)の左右)
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この左右の道がいわゆる六国峠ハイキングコースで、金沢文庫駅近くの入口から金沢動物園武相尾根を経て鎌倉外郭上の天園まで続いている。

浦賀道のつづきとしては左方向文庫方面へ向かうことになるが、その手前、案内板のあるピークが、おそらくは横横の上に人工的に生成されたものであろう尾根になっていて、案内板の正面からその尾根上にある公園へ向かって道ができている。
なぜか案内板自体にこの道は書かれていないが、だいたいこの辺。(のライン)(よくわかんないぞ)
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地形的につながっているので、踏み固められて有耶無耶のうちに当初予定の無かった道ができてしまったのかもしれない。(笑)

古道は下に下るよりもどちらかと言えばこちらの尾根方向なので、ちょっと行ってみる。
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公園である。
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だがこの先は行き止まりのようだ。
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(地理院地図を加工)

結局、案内板に書かれている正規の道から下り(左画像)、くるっと振り返ってハイキングコースを進む(右画像)。
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ここから無駄に下り坂である。
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あああっ!おっぱいが♡。(おっぱいゆーな。いつもの二子山です)
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さらに下り坂。
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能見台六丁目分岐
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ここで上って峠になるが、古道でないこの道ではカウントしない。
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シティ能見台西バス停分岐
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古道ルートとして北側のシティ能見台内を辿った場合、ここに出てくることになる。健康的なハイキングではなく病的な古道歩きの場合(病的ゆーな!)は、無駄な下り上りするここまでのコースよりもそっち(シティ能見台経由)の方が良いかもしれないな。
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(地理院地図を加工)

とはいうものの、この先も無駄にダウンアップ。
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声を大にして叫ぼう。
皆さーん、ここはまだ古道ではありませんよーっ。(やかましい!)

けっ!また下りかよ。(笑)
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また上り。いよいよこの左側の高みが古道の通っていた尾根であるかと思われる。
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そしてこの階段を上ったところで尾根に上りつく、イコール古道跡と晴れて合流である。
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左側の尾根を振り返って見たところ。藪で判然としないが、ここにがあったのではないだろうか。
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上に見える建物が、シティ能見台つどいの街 壱番館。角度的にもこの尾根古道が続いていたことはほぼ間違いないのではないかと思う。
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(地理院地図を加工)

ここでここまでの古道のルートについて、先人の方々のテキストでの扱いを見てみよう。

金沢・浦賀道:保土ケ谷→金沢地誌のはざまに

緑地に入ってからは、ハイキングコースのルートには入らず、斜めにシティ能見台内の道路へ入るルートを取られている。(上図の金沢支線の「沢」の字辺り)
ここまでは私のラインと一緒だが、その先は能見台低区配水槽の脇を抜け、後で登場するシティ能見台西バス停分岐ハイキングコースに合流している様である。

以下の2テキストは、例によって進行方向が逆であることにご留意いただきたい。

鎌倉旧古道 鎌倉街道・鎌倉往還 下の道歴散加藤塾

前記事同様、二のⅠ 金沢文庫駅から氷取沢高校脇までのページから。

ハイキングコースを進むと「横浜横須賀道路金沢支線」の工事の関係か、急に右手へ上る階段を登らされる。

登ったところで左へ向かうが、途中で右への枝道を登ると「高速道路のトンネルの頂上へ出て、先へ下ると能見台団地の中へ出る。

 

ちなみに、右への枝道を登らずまっすぐに行くとつきあたり、右が能見台団地の一番上のじょうご型の配水池へ、左は金沢動物園を経て鎌倉天園へ続いている。

引用最初の行の階段がどれを指しているのかわからないが、「右への枝道」とあるのが、後で述べる案内板下のT分岐のことであろう。つまりはメンテ形態のハイキングコースを最後まで辿るコースを取られているようである。

第二編 下の道(PDF)街道を尋ねて/北倉庄一

135ページから。
そこから十分ほど歩くと、二又になる。右は多分昔の道だと思われる。草茂る中わずかに残る踏み跡をたどっても百メートルほどで行き止まりとなる。その先の崖下は住宅団地になっている。引き返して左の道を行く。やや下り坂で林の中へ入って行く。そのうち右への分岐がある。標識があって「低地配水池、能見台四丁目」と記してある。ここを右折して急坂を登る。団地の開発造成のため旧道は廃止され、代わりにこの道が造られたのだと思われる。
急坂だがそう長くはない。坂を登り切ると低地区配水池施設があり、その前方は一面の住宅大団地である。そしてその下に高速道路が走りそのトンネルも見える。道なりに歩いて行くと、十字路があり左折すればすぐ能見台郵便局がある。
3つのテキストで、これが一番時期が古いと思われる。
引用1行目の二又とは、藪になってしまったオリジナル古道尾根道との分岐であろう。まだ道が生きていたのだ。「その先の崖下は住宅団地になっている」というのが気になるが、ここでは置いておき、あとでおまけ3にて考察する。
そしてその次の右への分岐「低地配水池、能見台四丁目」とあるのは、現在のシティ能見台西バス停分岐のことであると思われる。
このルートは、横横を渡る前までは金沢道地誌のはざまに)と同じである。
やはり、南側のメンテ形態ハイキングコースを辿るのとは別に、より過去の古道古道のルートに近い、シティ能見台西バス停分岐ハイキングコースに合流するルートも有りかもしれない。

ここで、前記事の分も含めて、浦賀道歩きとして、メンテ形態を含めた想定されるルートを地図にまとめておく。
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(地理院地図を加工)

青紫が今回辿ったハイキングコース(人工尾根往復分を含む)、紫(A)赤紫(B)が一部がより古道に近いと思われる能見台4丁目側のルートである。は北倉氏の辿られたルート(PDF)、もいい感じに古道に近い道であるが、地図上ではハイキングコースにつながっていない。もしかして抜け道があるかどうか、これは検証してみる必要があるな。。。

UragaRoadH2-2
(地理院地図を加工)

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