2017年、お正月である。謹賀新年である。
このブログ始まって以来、これでもう何度目のお正月であろうか。。。?(まだ2度めですよ)
さて、去年の12月は課題回収その他別のプロジェクトに関わっていたので少しご無沙汰になってしまったが、今日は久々に観音崎尾根の探索のつづきをしようかと思う。というか探索の残りはもはやは観音崎公園のみ、それで観音崎尾根探索は終了になる。
前回のラストで申し上げたように、観音崎公園の北、走水側から尾根に上り、最終ゴールである観音崎を目指すつもりである。
だがその前に、今日はお正月3日である。そして時間はたっぷりある。ここで初詣をしておこう。いや既に今年の初詣は既に別の場所で済ましているのだが、寺社関係者に言わせれば初詣は何度行っても良いらしい。その方が連中はお賽銭等の収入で儲かるからだ。
幸い走水には、真面目な右翼の方々にとってはまさに聖地といえるであろう著名な神社がある。これはお参りしていかない手はない。
そんなわけで2017年1月3日初詣、走水へGo! Go!
残念ながらいつものなめこさん御用達、京急さんは走水は通っていない。(いつから御用達になった?)
なのでバス、横須賀中央からも乗れるのだが、電車でぎりぎり馬堀海岸で行ってから乗ることにする。
なのでバス、横須賀中央からも乗れるのだが、電車でぎりぎり馬堀海岸で行ってから乗ることにする。
前回ラストの走水小学校の2つ先、ジャストミートなバス停「走水神社」で降りる。
あったあった。バス通りである国道16号から鳥居が見える。
いよいよ敵地(敵なのか?)、走水神社に突撃である。
ここまでに支尾根プロジェクト〜観音崎尾根では何度か言及している地名、「走水」というのは、別に検証はしていないので確固たることは言えないが、おそらくは神奈川県内で最古に近い地名なのではないであろうか?少なくとも記紀のファンタジーな年代を採用するとすれば、1世紀、100年単位で西暦0年代に登場する地名である。
走水といえばもちろん、ヤマトタケルさん(日本武尊)とオトタチバナヒメさん(弟橘媛)ご夫妻のお話が有名である。自称左翼なので詳しくは語らないが、そのエピソードについては例えばこの辺りをご覧いただければだいたいおわかりになるであろう。
こちらも詳しくないのでざっくりと申し上げるが、ご存知のように、古代の東海道(それがヤマトタケルの時代に存在していたかどうかなどの細かいことはどうでも良い)は、当時のヤマト国の中心から現在の茨城県の方まで通じていて、同じく現在の都県名でいうと、愛知〜静岡〜神奈川から東京を経ずに、東京湾を直で渡って千葉から茨城に通じていたらしい。
東京都がオミットされたのはおそらく、江戸時代東海道の宮〜桑名間と同様の事情であろう。多摩川だの現・荒川だの、現・江戸川だの、面倒くさい川をいくつも渡るのを、海一つ渡ることで少しでも楽しようという魂胆であったのだ。おかげで金沢以北の神奈川県や東京都、埼玉県を含む武蔵国は、一時期、五畿七道的には岐阜〜長野〜群馬経由の東山道に含まれていたほどである。
東京都がオミットされたのはおそらく、江戸時代東海道の宮〜桑名間と同様の事情であろう。多摩川だの現・荒川だの、現・江戸川だの、面倒くさい川をいくつも渡るのを、海一つ渡ることで少しでも楽しようという魂胆であったのだ。おかげで金沢以北の神奈川県や東京都、埼玉県を含む武蔵国は、一時期、五畿七道的には岐阜〜長野〜群馬経由の東山道に含まれていたほどである。
凹凸を逆にすれば、田浦三支尾根や安針台、本町山中尾根を越えるのが面倒なので十三峠越えだけで済ませた浦賀道も似た様な話であるが、今は関係ないので置いておく。
入口にあった解説板。
そして申すべくもないが、ヤマトタケルとオトタチバナヒメの
お二人がこの神社の神様である。
上記の公式サイトによれば、元々は御所が崎(旗山崎)にお社があったそうだが、例によって明治以降、軍部の都合によって現位置に移動させられたそうである。まったく文字通り神をも恐れぬ所業、今の沖縄問題についても似た様なことが言えるかもしれないが、一言言わせてもらえばそんなに「人を殺す稼業」が神様よりも偉いのか?あ?
まあ実際のところは、そんなヤマトタケルさんも「人を殺す稼業」とやらを行ってきたので文句は言えまいということなのであろう。何にせよ連中の屁理屈は私には理解の範疇の外であるので、ここは先に進むことにする。
いつもの様に狛犬さんたち。
今日は3日なので、この人出がどの程度のものなのかは判断し難いが、ご近所にはもちろん例の防衛大学校もある天下の横須賀市であるから、自衛隊関連、船、海に関わっている方々もいらっしゃるであろう。実際それっぽい方もいらっしゃった。あるいは漁業関連の方もいらっしゃるのかもしれない。
そういう神社である。何はともあれ賑わっている。
そういう神社である。何はともあれ賑わっている。
本殿はさらに階段を上った上にある。
とりあえずは本殿前に貼ってあったなかなか良く描けている境内図。以後はこれをご参照いただきたい。
コンセプトがしっかりしている神社なので、見るべきもの、失礼ながらいわゆるオブジェやグッズがたくさんある。適当に撮った画像のものだけなのですべてを網羅したわけではないが、できるだけご紹介することにしよう。詳細はこちらのページが詳しい。(走水神社(横須賀市/走水)の御朱印と見どころ/神社と御朱印を巡る男の旅)
時系列は前後しているが、階段下のエリアの分からまとめて。
まずはお神輿。
包丁塚。
舵の碑。画像を整理していて、これが包丁?と一瞬思ったのだが、残念ながらこれは包丁ではない。舵である。
針の碑。(下の解説板の画像を2019.2.3のものに差し替えました)
本殿への階段を上ろう。
階段脇の御神木である。
例によって階数でいえば、2Fにあたる本殿。
左側からさらに上に上っていけそうであるが、先に右側の諸々をご紹介しておこう。
出た!w。露国機械水雷。
いわゆる得物、いや「獲物」である。神様に奉じたくなる気持ちはわからなくもない。ヤマトタケルはともかくも、オトタチバナヒメさんには相手を沈めるための兵器は迷惑な気もしないでもないが。(向こうがこちらを沈める兵器を取り上げたのだからいいんじゃね?w)
そしてお稲荷さん。
お稲荷さんの脇にある石塔群と、その奥の旧別宮。雑な画角の画像で申し訳ない。
さらに奥にある、水神社。かっぱさんがかわいい。
本殿左側の別宮。オトタチバナヒメの侍女の方々をお祀りしているそうである。
先程の旧別宮、「本殿左側に新築致しました」と書かれていたものがこれだろうか?
左に登り坂がある。そちらへ進もう。
走水神社(下)へつづく
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