観音崎時計回りの真の観音崎、先っちょ探索、いよいよ終盤である。
盛り上がってまいりました。(だから盛り上がってねーよ!)
盛り上がってまいりました。(だから盛り上がってねーよ!)
次に目指すはあのとんがりである。
あれに見えるとんがりは、まさしくDの先っちょであろう。
C尾根とD尾根に挟まれたこの辺りの海岸は、プチ浜になっている。
とんがりを目指すつもりが、
残念ながらこの先の海側は立入禁止になる。
横須賀警備隊。ちいっ!また防衛省かよっ!(笑)
横須賀警備隊とは例の礼砲台を管轄している部署である。
ここがその入り口の一つであろう。
あ。また威圧看板だ。(笑)
金網の隙間から覗いてみると奥に何かある。
iPhone6の解像度の限界(笑)だが、こちらに画像があった。
第一富士丸遭難者慰霊之碑とのことらしい。
第一富士丸遭難というのは、自衛隊潜水艦と遊漁船が東京湾横須賀沖で衝突した、いわゆるなだしお事件として知られているものである。どちらも悪いということで決着が着いているようだが、自衛隊が救助作業をしなかっただの、何らかの改ざんをしただの、事実はどうあれ自衛隊側が色々下手を打ったらしく、今の森羅万象馬鹿の腐れ政権ではありえないことではあるが当時の防衛庁長官が辞任にまで追い込まれたらしい。詳細は藪の中っぽいのでどうともいえないが、国防を担うべき自衛隊が、自国の漁船の乗客乗員さえ守れなかった一つの例として記憶すべき事件であるだろう。戦時中に民間人を見捨ててとっとと逃亡したどこかの旧軍と同レベルと見なされても仕方がないぞ。
第一富士丸遭難というのは、自衛隊潜水艦と遊漁船が東京湾横須賀沖で衝突した、いわゆるなだしお事件として知られているものである。どちらも悪いということで決着が着いているようだが、自衛隊が救助作業をしなかっただの、何らかの改ざんをしただの、事実はどうあれ自衛隊側が色々下手を打ったらしく、今の森羅万象馬鹿の腐れ政権ではありえないことではあるが当時の防衛庁長官が辞任にまで追い込まれたらしい。詳細は藪の中っぽいのでどうともいえないが、国防を担うべき自衛隊が、自国の漁船の乗客乗員さえ守れなかった一つの例として記憶すべき事件であるだろう。戦時中に民間人を見捨ててとっとと逃亡したどこかの旧軍と同レベルと見なされても仕方がないぞ。
とは言うものの、このときは真の観音崎候補とはっきり認識していなかったので、尾根を見上げた画像はない。申し訳ないがGoogleさんを埋めておく。
左側のこれは、
尾根をくぐる素掘りのトンネル。
トンネルを抜け、振り返る。
こちらもGoogleさん見上げ画像を埋めておこう。
この先、右側、公園側の画像はあるのだが、肝心な海側にある尾根の画像がない。
上のGoogleさんをぐりぐりやっていただければ良ろしいのではあるが、一応それも埋めておこう。
高みの上にある建物は、元観音崎警備所の施設、これもまた「元」である。こちらによれば、観音崎警備所は平成25年(2013年)に廃止されたらしい。
ここは先程の第一富士丸遭難者慰霊之碑があった領域(この奥にあたる)を含め、第四砲台の跡である。いつものおなじみのサイトを張っておこう。
2番めのadventurousなサイトは、第一砲台からここで言うDの尾根筋をたどって中を撮影したらしい。
先程の先っちょの先の島っぽいのが気になる方もいらっしゃるかと思うが、これは人工物である。
後のものになるが、反対方向からの画像もある。
素掘りトンネルから出てきたところの道は、バス停(三軒家)側から観音崎隧道をくぐってきた観音崎通りである。
道なりに展望園地へ向かう。
その5 展望園地へつづく
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