うに°うに°ぷにぷに別宅

こちらは、うに°うに°ぷにぷにZ の別宅になります。

2017年01月07日

先程の腰越川和田川の間の尾根を回り込んだ先に、次の浜がある。
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先程の観音崎大橋の浜を腰越の浜とするならば、こちらは鴨居の浜、私の認識に誤りが無ければ、この先がいよいよ鴨居の本拠地、中心地である。

まさにジャストミートなバス停名、鴨居
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バス停の前の鳥居から奥を覗き込むと神社がある。
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神社は、駐車場を挟んだ、いつのまにかなめこさんが辿るのを放棄している(はい?)旧道沿いにある。
バス停横の鳥居を一の鳥居とすれば、上の画像の階段上の鳥居は二の鳥居。

八幡神社。通称鴨居八幡神社
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7日とはいえ、まだまだお正月である。ここはお参りしていこう。
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神様は大勢いらっしゃるのでいちいち記さないが、源氏絡み、鶴岡八幡宮絡みの八幡宮であるので、誉田別尊 (応神天皇)辺りがメインであろう。(神様に辺りだのメインだのゆーな)
例の三浦大介義明さんの子、鴨居の領主であったと言われる義春さんもご祭神に名を連ねている。

境内からは鳥居の奥に海が見える、素敵な神社である。
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鳥居の右側あたりに鴨居に関する例の説明板があったらしいが、迂闊ななめこさんはそちらも華麗にスルーしてしまったようである。なのでここでもまた、 こちらをご参照いただきたい。

旧道歩きを放棄していたはずのなめこさんは、何事もなかったかのようにしれっと旧道に戻り(笑)、再び県道に当たる。
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先程のバス停から見えた標識、
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今はこれを右に曲がったところにいる。海沿い、謎のかもめ団地(謎の?)を経由するよりは内陸を経た方が浦賀へは近いと思えたので、そのまま右折して(2つ上の右画像)県道沿いに進むことにする。

するとすぐに左脇に西徳寺がある。
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会津藩士のお墓があるという。これは興味深い。

さっそく入ってみよう。
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西徳寺
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こちらは和田地蔵
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和田というのは、三浦義明さんのお孫さんで、鴨居でぶいぶい言わせていた先程の八幡神社のご祭神でもある義春さん(多々良義春)からは甥にあたる、和田義盛さんの和田である。なんでもその和田が(和田ゆーな)お地蔵様を川にぽちゃんと沈めて戦の勝敗を占ったら、お地蔵様が川上に流れたので「勝ったなガハハ」となったというエピソードがあるそうだ。「ありえねー」とか言ってはいけない。(ありえねー)

会津藩の方々のお墓は、本堂の左奥に入る。
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ここを登るらしい。
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予期せぬ登山。(笑)
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登り着いた。
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とりあえずパノラマ。
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おおおっ!2003年開国祭のステッカーがっ!。(それはどうでもいい)
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雑で申し訳ないが、お墓の画像。
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会津藩士の墓については、こちらのページがご参考になるであろう。 ここ以外にも、三浦には会津藩の方々のお墓はあちこちにあるようである。
鎌倉以降、会津を領し若松城を築城したのは例の三浦大介義明さんの七男、佐原義連さんの系統の蘆名氏、ここより少し離れているが同じ横須賀市内、大楠山南西の相模湾に面した芦名がその名字の由来である。(葦名時代会津鶴ヶ城
蘆名氏以降、伊達、蒲生、上杉、加藤などを経た後の松平を殿様とあおぐ藩士の皆さんが、三浦にどれほどの思いを持っていたかはわからない。だが何にせよ本当にお疲れ様である。
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この県道沿いの川が和田川。和田が(だから和田ゆーな)お地蔵様をぶくぶくと沈めた、件の川のようである。
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このの流域、前記事の腰越川の流域、そして観音崎をぐるんと回ってバス停のあった三軒家の谷まで、小原台や二葉の領域も含めて概ね元々は鴨居である。
それは振り返ってみると、尾根探索において防大の坂を下った小原台・二葉から調整池を回り込んで(ここから現地名も鴨居観音崎公園、花の広場側入口までの住宅地、観音崎公園内では当初は右側謎のオブジェ2入口から先は両側、探索を終えて公園を出てからのここまでも、すべてが鴨居だったことになる。
鴨居については、たたら浜腰越なども含めて、先程ご紹介したサイトに興味深い記事がある。 多々良氏とは、例の三浦大介義明さんの子、義春さんが名乗った名字である。

会津藩の皆さんのお墓参りが結構な山登りだったので、なめこさんはすっかり疲れてしまい、生きてることさえいやだと泣いた。頑張ってバス停2つ分ぐらいは歩いたが、力尽きてついにここでバスに乗ることにした。(へたれめ)
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浦賀駅到着。
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さてこの後であるが、浦賀から西側の山へ上り、今日まで探索してきた観音崎尾根のだいたいこの付近
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から分岐し、観音崎から見て浦賀湾の対岸にあたる千代ケ崎まで延びる尾根を探索するつもりであった。つまり浦賀湾をはさんで尾根探索2ちょっぱを目論んだのである。(2ちょっぱ?)
だが途中、吉井〜西浦賀の山中で尾根を間違えてしまい、こ〜んなところに出てしまった。(どこだよ!?)
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なんとか本尾根らしきところには復帰はしたが、
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もはや時間も時間だし、バッテリーも容量もなめこさんも限界である。
なのでこちらの尾根は仕切り直すことにし、とりあえず人里へ下ることにした。こんな何だかよくわからない場所を通過し、(わからないのはあんたの画像だ)
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たそがれの三浦のドン(平作川ですよ)を渡り、
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夜の久里浜から帰宅した。
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ということで次の支尾根探索は、千代ケ崎尾根ということになる。(8日後になります)

さらに進むと、例の戦没船員の碑から延びている尾根を隔てて次の浜がある。観音崎通りはこの浜を観音崎大橋でどーんと横断する。内陸部は山が迫り、狭い平地に住宅が建込んで道を通せないため、一気に海側を橋で通してしまえというのは比較的よくあるパターンである。
当然この道路は近代に造られたものであろうから、旧道があるはずである。三崎の宮川橋なんかもそうなのだが、三浦の旧道はかなり渋いはずだ。(渋い?)

この分岐がそうであろう。左が観音崎大橋、右が多分旧道である。
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右の旧道へうにうにと入ってみる。分岐してからすぐに覗き見る観音崎大橋
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そして早速、旧蹟である。
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空気の読めないなめこさんには難解な説明板である。(はい?)
高橋勝七と若松屋、そして横須賀中央埋め立てまでの話はわかったが、ここが何なのかが明記されていない。

つまるところここは若松屋の跡地であり、そのぐらい察しろよヴォケ!ということらしい。(そんなガラの悪い看板ではありません)
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どうも経験上、漁師町の様な海沿いの道は素直でないことが多い。(笑)
道がうにっとずれている。
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その先で渡る小さな川は、こちらによれば腰越川である。
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川名の裏は取れないが、この川の谷筋の地名が「腰越」であるのでまあほぼ間違いないだろう。

腰越という地名は、例の鎌倉の西側の、源義経の「兄上俺を鎌倉に入れないとぶち殺すぞゴラァ!」の腰越状が有名だが(←そんなこと言っていないぞ!)、こちらはこのブログを時系列順に丹念にお読みになっている方ならご記憶にあるであろう。観音崎公園内のうみの子とりで腰越堡塁跡であると言われている、あの腰越である。
この先の県道を右折すると、鴨居隧道をくぐって三軒家観音崎バス停に達するのであるが、鴨居隧道ができる前は、うみの子とりでの先にあっためがね橋の下の切り通しを越えていたのであろう。地名の辻褄はそれで合うのだが、その切り通し自体、トンネルよりは上とはいえさらにその上の尾根道とはかなりの標高差がある。現在のうみの子とりでにある腰越堡塁は、この腰越からの道からどのようにアクセスしたのであろう?。

道をさらに進むと、県道209号(観音崎環状線)と交差する。
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釣具屋さんの右側の路地を入ればこの旧道の続き、しかもその右側の、町内会のご老人のための家の壁に「腰越」の説明板があったはずであるらしいのだが、現地のなめこさんはそんなことはつゆ知らず、「とりあえず浦賀へ行けばいいや」と安易に県道を左折してしまった。
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実際のところ、2つ上の両画像のバックをご覧になればおわかりになるであろうが、直進方向へ路地に入ったとしても、屏風のように立ちはだかった尾根に阻まれ、旧道は余儀なく左折させられるのである。

この尾根は、先程の腰越川と、この先の和田川との分水嶺、途中で鴨居三丁目造成にとって地形改変させられているが、基本、うみの子とりで(腰越堡塁跡)観音崎尾根から分岐して延びてきている尾根である。
この尾根先っちょ方向に、例の軍部に強制移動させられ、その後、焼失する運命をたどった観音寺がある。以下の腰越の説明板によれば、そのとんがり、先っちょ亀崎半島というらしい。残念だが、今日はこちらの先っちょには行っていない。
周りの住宅地、とくに観音崎公園花の広場側入口付近の鴨居3丁目造成によって取り残されたこの尾根尾根探索的に攻略できるのかどうか、非常に興味深い。いずれ機会があれば、亀崎半島と一緒に様子を見てこよう。

先程の角にあるはずの腰越の説明板については、 こちら
因みに鎌倉の方の腰越の地名の由来は、こちらに記載がある。
どちらもぱっと見、似たような地形である。鎌倉の腰越の「腰」は、地形的には江ノ島へつながっていると思われる龍口の尾根になるのであろうか。

県道を左折すると観音崎大橋の交差点観音崎バス停で分岐していた観音崎通りと再び合流する。
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鴨居へつづく

観音崎尾根探索、そして観音崎先っちょめぐりぐるり旅は前記事で終了した。
ここからは気ままに浦賀方面へ、海沿いを散策しよう。

だがちょっとその前に。(は?)
ここに博物館がある。There's a museum hereである。(なんだそのインチキくさい英語は)
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観音崎自然博物館である。
昭和生まれのなめこさんは、博物館に目がない。(元号関係あるのかよ?)
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なのでここは気前よく400円を散財して入ってみよう。(灯台の200円にぶーぶー言ってたのは誰だ)
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館内が撮影禁止であったかどうかは記憶にないが、基本この手の博物館展示館系ではあまり画像を撮らないなめこさん的には、以下博物館内部の画像はあまりない。

入ってすぐの奥に庭があったのであろうか、何だかよくわからないオブジェ。それと前記事封鎖されていた階段を上から見たところ。
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あとは海鮮な動物さんたち。(海鮮ゆーな。ってかヒトデは食べられないぞ)
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実際ヒトデばっかだな。星印になっている以外、何の役にも立たない奴らめ。(酷い言いようだ)
もも〜くりさ〜んねん♪ かきは〜ちねん♪(はい?)
らららららら♪(やかましい!)

一番のお勧めはこのタコさんたち。美味しそうである。
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この人たちの行動というか運動というか、軟体的なうにうにした動きはず〜っと見ていて飽きない。

博物館に関してはこれだけの情報で申し訳ない。
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公式サイトもあるので、ぜひそちらをご参照されたい。 他に、インスタやFBやTwitterなどもやっているようだが、ご興味のある方は上のホームページからたどっていただきたい。海鮮動物がお好きな方にはインスタグラムとか結構面白いぞ。(だから海鮮ゆーな)

表に出てたたら浜、黒船のモニュメント?
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この、自転車半島宣言というのがいまいち 何だかよくわからないのだが、 ここがマイルストーンの1つであるらしい
サイクリングしない人でも これらのマイルストーン を収集すると楽しいかもしれない。

そしてこれ。
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いや「覚えていますか」とか言われても。飯島真理じゃあるまいし。(はい?)

文中のくりはま花の国の方の画像は、これはまた2年後(2019.2.3)のものがなぜかあるので貼っておこう。
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たたら浜の説明板。
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道をはさんだ山側。画像左側で文字が切れているが「たたら浜園地」。
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例の戦没船員の碑の先の分岐を下ると、こちらにも出られるらしい。

観音崎通りを西へ進み、たたら浜を振り返ってみる。
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腰越へつづく

尾根を「素掘りのトンネル」(厳密には出口の西側はコンクリート)でくぐった先は観音崎通りである。
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実を申し上げると、探索中、及びこの記事を書き始めた当初は、この道路の名称がわからなかった。横須賀市のサイト( 道路の愛称)では「走水〜京急浦賀駅」を観音崎通りとしているが、そのうち観音崎バス停からこの先の観音崎大橋の交差点までの区間が、こちらの観音崎隧道をくぐる道路なのか、それともショートカットして鴨居隧道をくぐる県道209号の方なのか、どちらだかわからなかったのである。
だが何のことはない、2つ先の記事の下調べで観音崎大橋付近のStreetViewをうにうにやっていたら、まさに観音崎大橋を渡ったところに「観音崎通り」の標識を見つけた
他にも無いかとStreetViewを探したら、もう一つ観音崎バス停から少し観音崎隧道の方へ進んだパークセンターの前に立っていた
つまり、観音崎隧道をくぐる区間の側の入口と出口付近に標識があるということになる。それだけかよとお思いになるかもしれないが、逆に言えばその2箇所の標識で、こちらの区間が確実に観音崎通りであるということを決定することができるのである。
というわけで、今まで適当にこの道路を「観音崎隧道の道路」だのなんだのむにゃむにゃしたことを申し上げていたが、これで「観音崎通り」と堂々と呼称することが可能になった。よって例によってこれまでの記事はこっそり直しておくことにする。(笑)

因みに、この区間のうちパークセンターから観音崎大橋の交差点までは、夏休み中の土日は時計回り方向に一方通行であるらしい。さすがは海である。(何がさすがは、だ)

少し歩いて、山側(右側)が噴水広場であるはずだが、これは工事中であろうか?
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戦没船員の碑の先分岐を下ると、ここか、もう少し先のたたら浜園地かに出るはずである。

ここまで書いていて初めてわかったのだが、この観音崎公園これからまた色々と手を加えるらしい。この工事もその一環なのだろう。

噴水広場の反対側(海側)に展望園地がある。
ここを登る。
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入口右側にある案内板。
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展望園地
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道路側よりも一段高くなっている、まさにここが尾根の末端であろう。海側に先っちょめぐり最後の先っちょがありそうだ。

ここから振り返って見えるとんがりは、
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こちらの先っちょのようだ。
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(地理院地図を加工)

奥には先程の先っちょ聴測所が見える。
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観音崎の地形」の説明板は3度めの登場だが、
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ここに描かれている地図が、以下の点で非常に興味深い。
  1. 例のバーベキュー場の辺りにかつてはユースホステルがあったこと。
  2. 第2砲台脇から下るトンネルの通路がはっきり描かれていて、海上交通センターから灯台への道は描かれていない。もしかしてあのトンネル、昔は通行できた?
ユースホステルは知らないが、そういえばあのトンネルは遠い昔に通ったことがあるような記憶があるのだが、やっぱ気にせいかな。

他の説明板もまとめて貼っておく。
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観音崎にゃん3号。
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園地奥のこの建物は、観音崎自然博物館
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ここまで来ると先程の先っちょ が2つとも、聴測所込みでよく見える
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海側に下りてみよう。
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これも先っちょっちゃ先っちょプチ先っちょである。
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(地理院地図を加工)

海岸の通路。
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少し進むと、顕著な先っちょがある。
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(地理院地図を加工)

おおおっ!まさに先っちょ!!!(笑)
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さらに先っちょ!
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先っちょパノラマ!(やかましい!)
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戻る。
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パノラマで右側に見えた島っぽいやつ。
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あと1個、の一番先の先っちょを目指す。
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右側の観音崎自然博物館へ登る階段と、左側の海岸に下る階段があるが、どちらも通行できない。
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海岸へは降りられないが、ここが最後のとんがり、先っちょである。
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(地理院地図を加工)

ここから先の海岸はたたら浜
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バス停前の三軒家とともに、観音崎に2つあるとされる浜の1つである。

観音崎隧道からの道路の谷をはさむことになるので、前に申し上げたとおりこの浜から先は観音崎先っちょの範疇からははずして良いだろう。

さて皆さんはここまでの先っちょのうち、どれが真の観音崎であると思われるであろうか?
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結論を申し上げれば、正直どうでも良い。(はい?)
真の観音崎は皆さんの心の中に(おい)

まあそれでは身も蓋もないので、ここはやはり本命である、観音埼灯台直下、過去の灯台がごろごろ転がっている、道路のとんがりが実に怪しい、この先っちょ真の観音崎としておこう。別に怒る人もいまい。(最初から灯台のある尾根がゴールだとあんた言っていたではないか!怒!)
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今思えば、あの道路のとんがりが真の観音崎であることを暗に主張しているのかもしれない。(は?)
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ここを真の観音崎観音崎尾根探索の終点として、ここまでの探索地図を作ってみた。何らかのご参考にでもなれば幸いである。


以上で観音崎尾根探索は終了である。お疲れ様でした。

そんなわけで、ここから先しばらくは、観音崎南側、鴨居周辺の散策記事となる。

観音崎時計回りの真の観音崎先っちょ探索、いよいよ終盤である。
盛り上がってまいりました。(だから盛り上がってねーよ!)

次に目指すはあのとんがりである。
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あれに見えるとんがりは、まさしく先っちょであろう。
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(地理院地図を加工)

尾根尾根に挟まれたこの辺りの海岸は、プチ浜になっている。
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とんがりを目指すつもりが、
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残念ながらこの先の海側は立入禁止になる。
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横須賀警備隊ちいっ!また防衛省かよっ!(笑)

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ここがその入り口の一つであろう。
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あ。また威圧看板だ。(笑)
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金網の隙間から覗いてみると奥に何かある。
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iPhone6の解像度の限界(笑)だが、こちらに画像があった。
第一富士丸遭難者慰霊之碑とのことらしい。
第一富士丸遭難というのは、自衛隊潜水艦と遊漁船が東京湾横須賀沖で衝突した、いわゆるなだしお事件として知られているものである。どちらも悪いということで決着が着いているようだが、自衛隊が救助作業をしなかっただの、何らかの改ざんをしただの、事実はどうあれ自衛隊側が色々下手を打ったらしく、今の森羅万象馬鹿の腐れ政権ではありえないことではあるが当時の防衛庁長官が辞任にまで追い込まれたらしい。詳細は藪の中っぽいのでどうともいえないが、国防を担うべき自衛隊が、自国の漁船の乗客乗員さえ守れなかった一つの例として記憶すべき事件であるだろう。戦時中に民間人を見捨ててとっとと逃亡したどこかの旧軍と同レベルと見なされても仕方がないぞ。

先に進むと前に立ちふさがるのが、以前に言及した南にびろ〜んと延びる尾根の分岐前の尾根である。
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とは言うものの、このときは真の観音崎候補とはっきり認識していなかったので、尾根を見上げた画像はない。申し訳ないがGoogleさんを埋めておく。


左側のこれは、
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こちらによれば地下壕の跡、こちらによれば砲具庫の跡ではないかということらしいが、いずれにせよ中を見てみれば色々とおどろおどろしいものが出てくるに違いない。(笑)

尾根をくぐる素掘りのトンネル。
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トンネルを抜け、振り返る。
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こちらもGoogleさん見上げ画像を埋めておこう。



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この先、右側、公園側の画像はあるのだが、肝心な海側にある尾根の画像がない。
上のGoogleさんをぐりぐりやっていただければ良ろしいのではあるが、一応それも埋めておこう。


高みの上にある建物は、元観音崎警備所の施設、これもまた「元」である。こちらによれば、観音崎警備所は平成25年(2013年)に廃止されたらしい。
ここは先程の第一富士丸遭難者慰霊之碑があった領域(この奥にあたる)を含め、第四砲台の跡である。いつものおなじみのサイトを張っておこう。
2番めのadventurousなサイトは、第一砲台からここで言う尾根筋をたどって中を撮影したらしい。

先程の先っちょの先の島っぽいのが気になる方もいらっしゃるかと思うが、これは人工物である。
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後のものになるが、反対方向からの画像もある。
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聴測所。文字通り、海の音を聴き取ってあんなことやこんなことをするための施設である。(あんなことやこんなことってなんだよ?)
上記サイトのこちらの記事が詳しい。

素掘りトンネルから出てきたところの道は、バス停(三軒家)側から観音崎隧道をくぐってきた観音崎通りである。
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道なりに展望園地へ向かう。

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