先程の腰越川と和田川の間の尾根を回り込んだ先に、次の浜がある。
先程の観音崎大橋の浜を腰越の浜とするならば、こちらは鴨居の浜、私の認識に誤りが無ければ、この先がいよいよ鴨居の本拠地、中心地である。
まさにジャストミートなバス停名、鴨居。
バス停の前の鳥居から奥を覗き込むと神社がある。
神社は、駐車場を挟んだ、いつのまにかなめこさんが辿るのを放棄している(はい?)旧道沿いにある。
バス停横の鳥居を一の鳥居とすれば、上の画像の階段上の鳥居は二の鳥居。
八幡神社。通称鴨居八幡神社。
7日とはいえ、まだまだお正月である。ここはお参りしていこう。
神様は大勢いらっしゃるのでいちいち記さないが、源氏絡み、鶴岡八幡宮絡みの八幡宮であるので、誉田別尊 (応神天皇)辺りがメインであろう。(神様に辺りだのメインだのゆーな)
例の三浦大介義明さんの子、鴨居の領主であったと言われる義春さんもご祭神に名を連ねている。
例の三浦大介義明さんの子、鴨居の領主であったと言われる義春さんもご祭神に名を連ねている。
境内からは鳥居の奥に海が見える、素敵な神社である。
鳥居の右側あたりに鴨居に関する例の説明板があったらしいが、迂闊ななめこさんはそちらも華麗にスルーしてしまったようである。なのでここでもまた、
こちらをご参照いただきたい。
旧道歩きを放棄していたはずのなめこさんは、何事もなかったかのようにしれっと旧道に戻り(笑)、再び県道に当たる。
先程のバス停から見えた標識、
今はこれを右に曲がったところにいる。海沿い、謎のかもめ団地(謎の?)を経由するよりは内陸を経た方が浦賀へは近いと思えたので、そのまま右折して(2つ上の右画像)県道沿いに進むことにする。
するとすぐに左脇に西徳寺がある。
会津藩士のお墓があるという。これは興味深い。
さっそく入ってみよう。
西徳寺。
こちらは和田地蔵。
和田というのは、三浦義明さんのお孫さんで、鴨居でぶいぶい言わせていた先程の八幡神社のご祭神でもある義春さん(多々良義春)からは甥にあたる、和田義盛さんの和田である。なんでもその和田が(和田ゆーな)お地蔵様を川にぽちゃんと沈めて戦の勝敗を占ったら、お地蔵様が川上に流れたので「勝ったなガハハ」となったというエピソードがあるそうだ。「ありえねー」とか言ってはいけない。(ありえねー)
会津藩の方々のお墓は、本堂の左奥に入る。
ここを登るらしい。
予期せぬ登山。(笑)
登り着いた。
とりあえずパノラマ。
おおおっ!2003年開国祭のステッカーがっ!。(それはどうでもいい)
雑で申し訳ないが、お墓の画像。
さてこの後であるが、浦賀から西側の山へ上り、今日まで探索してきた観音崎尾根のだいたいこの付近
会津藩士の墓については、こちらのページがご参考になるであろう。
ここ以外にも、三浦には会津藩の方々のお墓はあちこちにあるようである。
鎌倉以降、会津を領し若松城を築城したのは例の三浦大介義明さんの七男、佐原義連さんの系統の蘆名氏、ここより少し離れているが同じ横須賀市内、大楠山南西の相模湾に面した芦名がその名字の由来である。(葦名時代/会津鶴ヶ城)
蘆名氏以降、伊達、蒲生、上杉、加藤などを経た後の松平を殿様とあおぐ藩士の皆さんが、三浦にどれほどの思いを持っていたかはわからない。だが何にせよ本当にお疲れ様である。
蘆名氏以降、伊達、蒲生、上杉、加藤などを経た後の松平を殿様とあおぐ藩士の皆さんが、三浦にどれほどの思いを持っていたかはわからない。だが何にせよ本当にお疲れ様である。
この県道沿いの川が和田川。和田が(だから和田ゆーな)お地蔵様をぶくぶくと沈めた、件の川のようである。
この川の流域、前記事の腰越川の流域、そして観音崎をぐるんと回ってバス停のあった三軒家の谷まで、小原台や二葉の領域も含めて概ね元々は鴨居である。
それは振り返ってみると、尾根探索において防大の坂を下った小原台・二葉から調整池を回り込んで(ここから現地名も鴨居)観音崎公園、花の広場側入口までの住宅地、観音崎公園内では当初は右側、謎のオブジェ2入口から先は両側、探索を終えて公園を出てからのここまでも、すべてが鴨居だったことになる。
それは振り返ってみると、尾根探索において防大の坂を下った小原台・二葉から調整池を回り込んで(ここから現地名も鴨居)観音崎公園、花の広場側入口までの住宅地、観音崎公園内では当初は右側、謎のオブジェ2入口から先は両側、探索を終えて公園を出てからのここまでも、すべてが鴨居だったことになる。
会津藩の皆さんのお墓参りが結構な山登りだったので、なめこさんはすっかり疲れてしまい、生きてることさえいやだと泣いた。頑張ってバス停2つ分ぐらいは歩いたが、力尽きてついにここでバスに乗ることにした。(へたれめ)
浦賀駅到着。
さてこの後であるが、浦賀から西側の山へ上り、今日まで探索してきた観音崎尾根のだいたいこの付近
から分岐し、観音崎から見て浦賀湾の対岸にあたる千代ケ崎まで延びる尾根を探索するつもりであった。つまり浦賀湾をはさんで尾根探索2ちょっぱを目論んだのである。(2ちょっぱ?)
だが途中、吉井〜西浦賀の山中で尾根を間違えてしまい、こ〜んなところに出てしまった。(どこだよ!?)
なんとか本尾根らしきところには復帰はしたが、
もはや時間も時間だし、バッテリーも容量もなめこさんも限界である。
なのでこちらの尾根は仕切り直すことにし、とりあえず人里へ下ることにした。こんな何だかよくわからない場所を通過し、(わからないのはあんたの画像だ)
たそがれの三浦のドン(平作川ですよ)を渡り、
夜の久里浜から帰宅した。
ということで次の支尾根探索は、千代ケ崎尾根ということになる。(8日後になります)