3度目の下り。
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お気づきかと思うが、緑区に入ってからそれまでの海軍道路にはなかったアップダウンが急に増えている。もちろん道路のルート選択の問題や、海軍道路が軍使用目的であったとかの人工的な要素もあるのだろうが、地形的に概ね相模原台地から多摩丘陵に入ったことがその大きな理由であろう。台地つるぺた丘陵うねうねであるとすれば(うねうね?)、その変化は必然である。

因みに、瀬谷区緑区境界は、おおよそ相模国武蔵国の国境である。横浜市鎌倉市境市境広場から一貫して東京湾相模湾分水界を正確に辿ってきた武相国境が、ここへきて(だいたい上瀬谷通信施設の北端から)はずれていることにご着目いただきたいのだが、それについては過去の武相主尾根プロジェクトの記事で言及する。いや言及しました。したかな?あれれ?(はいはいお約束の時制混乱)

坂を下った霧が丘公園入口交差点から、道路は微妙に右へカーブする。
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だからどうだということではないのだが、海軍道路から分岐してこっちはずっと直線だったので、ちょっとのカーブでも目立つのである。

そして次は霧が丘二丁目交差点
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この先右側に、その筋では有名な(どの筋だよ?)かの黒澤フィルムスタジオがある。
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霧が丘交差点。画像がボケてるので小さめにしておこう。(笑)
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遊水地前交差点
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右側にある遊水地にも桜さんたちがいるので、桜てんこ盛りのゴージャスな風景になっている。
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(地理院地図を加工)

中山谷交差点
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先程の霧が丘西側交差点から下ってきたこの辺りを中山谷という。この近辺のバスを利用される地元の方ならどなたでもご存知かと思うが、読みは「なかざんや」である。「なかやまだに」ではない。嘘だと思われると困るので(思わねーよ)、この少し前にあったバス停の画像を貼っておこう。
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なかざにゃ」じゃないぞ。(わかるわ!)

交差点から先、今度は左へカーブ。(よくわからないな)
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そしてまたまた右カーブすればまもなく十日市場の交差点である。
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ここで交差する横浜線南側を並行する道路、いつぞやの記事では何だかわからないと申し上げたが、後日わかったところによると山下長津田線というらしい。左折した先の長津田はわかるが山下とは何のことでございましょうお奉行様なのだが、市の地図をよく見ると、右折先はしばらく横浜線沿いを走った後南下し、三ツ沢上町辺りで新横浜通りに合流、平沼橋を渡って石川町から元町沿いに山下埠頭方面へ向かうらしい。なかなかドラマチックな路線である。(どこがだよ?)

十日市場の地名の由来については、役所のサイトにはパンスペルミア説レベルの煮え切らないことが書いてあるが、線路の向こう側にある寳袋寺のサイトにその由来がちゃんと書かれていた。
該当部分を引用する。
【中世】
中世の鎌倉道伝承がある神明下(台)付近では、毎月十日に市が開かれていたと伝えられ、今日の地名「十日市場」の由来とされています(『新編武蔵風土記稿』)。これを裏付けるかのように神明下からは、南北朝期~室町期にかけての板碑や15世紀中葉の天目茶碗や北宋銭・香炉、15~16世紀と推定される掘立柱建物跡など中世の遺物が多数発見されています(『横浜市緑区十日市場町 長光廃寺跡』)。

神明下というのがどこだかよくわからないが、十日市場神明下公園というのがここから南東方向に直線距離で1km弱の位置にあり、近くの高台に神明社もあるので、その辺りが十日市場の由来地なのであろう。
この十日市場、他にも色々興味深いものがあるようなので、そのうちまたのんびりと散策でもしてみぽりんカテゴリの記事にでもしよう。(みぽりん?)

交差点名と町名は十日市場だが、ここから駅まではまだ500mほどある。
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そして駅前のバスターミナル。
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お、神奈中横浜市営東急が勢揃いしているな。(まともに写ってんのねーじゃんw)
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自動車で道路を走る場合、交差する道路や鉄道をだいたい意識するものであるが、この環状4号を初めて若葉台付近から走ったとき、横浜線を認識せずにいきなり田園都市線青葉台駅前に出てびっくりポンになったことがある。横浜線は上の画像で左方向に走っているバスのいる橋の下を通っているので、ボーっと生きていると気づかないのである。

桜並木十日市場駅までと聞いていたが、期待通り、まだまだこの先にも桜さんたちはいそうである。
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(地理院地図を加工)