うに°うに°ぷにぷに別宅

こちらは、うに°うに°ぷにぷにZ の別宅になります。

カテゴリ:三浦支尾根プロジェクト > 千代ヶ崎尾根

この先は決死のアドベンチャー(はい?)になったせいかあまり記憶にもないし、画像のGPSも飛びまくりなのだが、まあだいたいのところをレポートしようと思う。「間違えていたらごめんなさいてへっ♡」ではあるのだが、少なくともこのすぐ先で出会うかわいらしい神社までは、ほとんど危険は無いのでご安心いただきたい。(?)

まずは前記事、この広い道に出た3番目のT分岐までは戻らず、その手前から北側に向かう分岐に入ったところ。
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この道に入った理由は、北側に山を下ることともう一つ、先ほどの三角点にまだ未練があって、裏側からアプローチできないものかと思ったことだが、残念ながら上記画像のように左側は崖になっていて無理。

その後、今度は山に入って2番目の分岐を左へ行った道に突き当たる。
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山を下るには、これを右へ行けば良いのだが、いったん左へ入ってみる。
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先ほどの道の左の崖上は農地になっていて、それを見通してみる。
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角度的によくわからない画像であるが、多分左奥の薮々が三角点があると目した薮々(お伊勢山頂)の裏側で、もしかしたらこの農地側に三角点があるのではないかと思って撮ったのがこの画像であったかと思う。
残念ながら目視ではわからなかったし、この画像をざっと見た感じでも三角点はありそうもない。
中に入って薮々をのぞいて見ようかとも思ったが、作物が植わっていて、通り道であればずかずか入って行くなめこさんでもさすがにこの状況では遠慮した。
まあ良い。べ、別に三角点なんか(ここでツンデレいらない)
因みに、大変残念なことに2019.6現在、三角点探し隊〈リンク切れ〉の方々もこちらの三角点には達し得ていないようである。

振り返って右の道が先程のT分岐(T分岐ばっかだな)へ戻る方向だが、左のプチ登り坂の奥に何かある。
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小さくてかわいい神社、というか祠である。
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Google Mapにはちゃんと載っていて、事前にこの辺りに神社があるらしいことは知っていたが。

神天禄大社
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久里浜台の記事でちょっとだけ触れた榊神社大禄天神のまるでアナグラムみたいな名称だが、ここはその神社が元々あった旧社地である。その辺りの事情に関しては、一部は前々記事でもご紹介したが以下のページにその記述がある。 上記の各ページの記述により、この山をお伊勢山と呼ぶことがわかった。
そしてこちらの神天禄大社に関しては、以下のページがあった。 川間の集落があるのは現在の榊神社大禄天神、つまりこれから下る谷方向であるから、この先は旧社のかつての参道であったであろう道ということになる。
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(地理院地図を加工)

そして、ここからがアドベンチャーとなる。(何でだよ)
良い子はやカタギの方はまねをされない方が良い。(?)

神社から戻り、右側の道を下る。
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昔はこの道を通って参拝していたのであろう。切通状の道。
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だが、どうもこの切通しの先は谷筋っぽく見える。尾根サーチャー(笑)としては、これは実に屈辱的だ。(笑)

ふと脇を見ると、右側の方が尾根っぽく見える。
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道がついているかどうかよくわからないが、どうせ冬場である。歩くには問題あるまい。(そういう安直な判断が死を招きます)
例によってなめなんとかさんの人生のように道を外れて、こちらから下りてみよう。

道っぽいものが出てきたぞ。
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これは倒木か?人為的な通せんぼか?
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今さら引き返すつもりのないなめこさんは、気にせずにずかずか進む。(やめろーw)

こ、これは!?
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竹林だが、両側がぐーんと落ち込んでいる、これは究極の尾根であるっ!(笑)

右側の崖、柵。
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さらに究極の尾根!実に美しい。(んなこと言ってる場合か?)
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またまた道なき道になりつつある様だが、この清々しいまでの細尾根をたどっていけば良いだろう。(大丈夫かよ?)

やっ!これは抜けられるのか???(さあ?)
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笹薮を強行突破したら、何とか下に出られそうである。
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柵に沿って、無事下界に帰還。
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振り返ってみる。
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2つ上の画像の右側、上の画像の左側のグリーンが尾根である。しまった!、尾根の末端の画像がないぞ。

申し訳ないがGoogle Street Viewでご勘弁いただきたい。


下界(住宅地)ぎりぎりまで尾根の末端が伸びている、実に美しい。(だったら画像撮っておけよ)
八景にも似たような物件(物件ゆーな)があるが、あれは下まで下りて来れない(地理院地図の下の追記参照)。こちらは末端までではないが、途中ぎりぎりまで辿ってから下れるという意味では大変貴重な物件である。(だから物件ゆーな)
ちなみに上のStreet View画像によれば、出口に向かって右側にあった木は、さらに切られてしまったようである。ご愁傷様。(笑)
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(地理院地図を加工)

追記(2022.1.18)
八景の物件」とは、瀬戸神社尾根この部分のつもりで書いたのだが、実際にはここは京急の線路等で分断された尾根の途中である。本当の尾根の末端は瀬戸神社裏山のこの辺(あるいはもう少し先)になる。まあいずれにせよ、末端まで尾根を歩き通すことができないことには変わりはないが。。。
さらにちなみにだが、なめなんたらが人生を踏み外した(それはもういい)元々の切り通しの先の道は一体どうなっていたのであろう。神天禄大社からの山道は前述の通り明らかに川間からの参道であり、おそらくは今下ってきた道よりも、そちらの切り通しの方が本道であろように思える。
だが実際のところどこへ下ってくるのかは、机上ではよくわからない。地形図を参考にしてGoogleさんで比定すると、だいたいこの辺りに出てくることになるのだが。


この車庫っぽいものの奥になるであろうか。これは私有地的に大丈夫か?そもそも奥は崖になっているし、本当にここに出て来られるのであろうか?

今になって色々疑問が出てきたりするが、そんなことはつゆ知らない現地のなめこさんは(つゆ知らなすぎだぞwww)浦賀湾方向へ向かう。
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海岸沿いの通り、海に向かって右正面のトンネルが川間隧道、その上の山が尾根のつづきである。
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さすがは横須賀市、道路沿いにあった地図だが、決死で(笑)下ってきた道もちゃんと載っているぞ。(「西浦賀5丁目」の目の字から㉙と㉜の間を通る黄色い道)
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トンネルの手前を左方向に入ると、有名な燈明堂がある。( 横須賀市ここヨコ
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燈明堂のある燈明崎もこの尾根の一つの先っちょであり、上の画像の右半分の高台はそこまでの尾根ということになる。

前記事柵で通行止めになっていたところへ通じる坂が、トンネルの手前右方向にある。
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後日(2019.3)見たらロープが張られ、通行止めになっていた。2年前にぷにぷにしたものがちょっとだけ侵入したせいであろうか?(あんた侵入したのかよ?)
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何にせよこちら側もここから私有地ということなのであろう。尾根線川間隧道の上であり、この道は作の手前(私有地部分)でちょっとだけ本尾根に乗っかるだけのものである。よってこの坂のことには触れずにおこう。どうしても気になる方は、この先の坂をぐいぐい上っていった団長さんのレポートがあるので、そちらをご参照されたい。(あ。また勝手に投げた)
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(地理院地図を加工)

そしてその先の尾根であるが、川間隧道の上は、順方向(西側)からのアクセスはその私有地を介するため不可能、逆方向からもお年寄りの養護施設がありそちらからのアプローチも難しいだろう。というかそもそも地形図をみるかぎりトンネルの上には道が無い。ここは遠目に見るなりして諦めるしかないであろう。
さらにその先はいよいよ千代ヶ崎ということになるが、そこはかつての砲台跡、なめこさんの天敵(笑)旧軍、防衛省絡みである。それも観音崎みたいに開放されている場所ではない。これは実に厄介くん、岡田くんである。(2019現在はなつのお兄ちゃんだぞ)
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(地理院地図を加工)

上記図で、尾根線を引くにあたっての先っちょとして、実際の千代ヶ崎ではなく、地形的、海岸線的な先っちょ(埋立地を含む)の方を採用していることを一応お断りしておく。その件については、次回(あるの?)あらためて言及する。
そのラインによれば、天敵防衛省の先はさらに、もしかしたらなめこさんが将来お世話になるかもしれない刑務所や、もしかしたらなめこさんが過去にお世話になったかもしれない少年院があり、仮に刑務所はクリアできたとしても(クリアすんなーっ!)お年頃のなめこさん(お年寄りの間違いです)が今後少年院内を探索することはほぼ不可能である。

ということで、本尾根に関しては、この川間という実に中途半端な場所(←失礼だろ!)で終了すべきであろう。お疲れ様でした。(え?終るの?)

そんなわけで、(西)叶神社にお参りして、
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浦賀駅から帰宅。
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残りの千代ヶ崎は永遠に封印することにする。(はぃ〜?)

第2回にはつづかない(つづけろよ!)

階段を上った。さらば、久里浜台(駐車した車しか見えませんが?)
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ここで入った山は「お伊勢山」(伊勢参りの講に由来する)と呼ばれているらしいことがわかったので、本記事のタイトルとする。由来の根拠等については次記事で記す。

階段を上ると、いきなり道が2つに分かれている。
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左は下り傾向の様である。ここは眺めもよさそうな右へ進む。
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早速パノラマ。(酷い色だな)
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手前に写っている住宅地は久里浜台のほぼ全域。左の山はあとでちょっと出てくる長瀬1丁目方面への尾根。中央右の緑は久里浜台陸上自衛隊久里浜駐屯地の間に残された緑地、その右の緑が前記事久比里坂久里浜台の間にあった緑地である。両緑地の間の遠景には大楠山が見える。
というわけで久々に、本日の大楠山。(笑)
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中央の緑地から左側の遠景を見てみよう。
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一番右の高い山は佐原の143mの山(佐原付近はまったくわからない)、そこから左側に高い台地になっているのが史上初のカタカナのみ地名と言われるハイランドの住宅地、その真中にどーんと立っている紅白の鉄塔が東京南線1・2号線 No.8-1塔マップ)、左へたどってぽっこり立ち上がっているのが野比高区配水池(?)こちらのコメント欄の記載の住所より東京南線3・4号線 No.9塔マップ)が載っている山(その高さぎりぎりまで住宅地になっているところがすごい)、そして一番左のもっこりが東京南線3・4号線 No.8塔マップ)と三崎線No.12塔マップ)が載っている山である。ちょうどそのもっこりの下を京急久里浜野比間のトンネルがくぐっている。143mの山は少しはずれるが、だいたいこのラインは千駄ヶ崎尾根になる。まだ尾根探索はしていないが、遠くない将来なめこさんは「つるぺた♡」を連呼したいがためにこのハイランドの造成地を歩むことになるであろう。(予言か?それw)
ちなみに送電線東京南線シリーズ、これらの鉄塔がこの日付の時点で見つけた一番若い番号になる。次がここで出会った1・2号線3・4号線のそれぞれ15番台。
ハイランドの一段後ろの山は、ご存知三浦三山、一番右のぷにっとしたピークが武山、その左が砲台山、つーっとたどって紅白鉄塔の左のピークが三浦富士になる。

さて、この展望地点から先へ進むとT字路。
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ここも左は下りなので右。
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そしてまたまたT字路。めんどくさいなあ。(笑)
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今度はかなり広い道である。
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まあ正解は左とわかっているので(は?)ここは左へ進む。

そしてここでまたまた出ましたよ!奥さん!あの三角野郎が!(八木節かよ)
こちらもあらかじめ座標値で位置を確認しておいたのだが、木で覆われているところではっきりわからない。だがまあ概ねこのT字路を左折した左側にあることは間違いない。おそらくそこはだいたいこの「お伊勢山」の山頂でもあるのであろう。

この辺?
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。。。 先へ進もう。(え〝っ!?)
だって藪々いやん。

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(地理院地図を加工)

明らかに自動車が通行している規模の道である。
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だが、じきに柵で行き止まりになる。
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柵の向こう側を撮ってみる。盗撮っぽいが、別になんたらお銀だかお娟だかが入浴しているわけではないので大丈夫だろう。
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由美かおるはいないが、何かのタンクのようなものが置いてあり私有地然としている。(ここが何なのか、次記事でちょっとだけわかるかも?)
尾根線はこの先に進み川間隧道の上を通過するはずであるが、やはり残念ながらここでストップ、迂回である。
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(地理院地図を加工)

先ほどの三角点前のT字路を右方向に行ってみた。
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こちらは支尾根、というよりも、先程の展望でも見えた、平作川河口に近い長瀬1丁目のある意味別の先っちょに伸びる尾根上の道ということになる。

だが、ほどなく農地のような所に出て先に進めない。
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この道が車が通行できる規模である理由がわかった。この道路までが封鎖されていないのは、この部分が公道だからかな?

未練がましく、三角点のあるであろう位置を画像に撮る。これはぜひどなたかチャレンジしていただきたいものである。(やだよ)
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西浦賀5丁目側に下る道(山へ入って2番目の分岐左折の道と合流)があるようなので、そちらへ進む。
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(地理院地図を加工)

浦賀通り久里浜台入口交差点を右折し、
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この坂を上る。
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尾根線は右側の高台の上である。
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交差点付近で地名的には西浦賀3丁目が一旦復活したが、少し上ったところで、左が南浦賀、右が久里浜台となる。
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(厳密には斜面も含めてだが)概ね久里浜台の領域は、右の崖上の住宅地と言って良い。

このポストの角で、やっと高さが追いつき右の高台に入ることができる(左画像)。高台を今上ってきた坂と逆方向に進む(右画像)。
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久比里坂久里浜台の間の、宅地化から取り残された山に突き当たる。
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反時計方向に回転はしているが、概ね久比里坂の断崖の裏側、こちらも尾根の断面と言ってよい。山の部分は、右側が西浦賀3丁目、左が久比里2丁目となる。
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(地理院地図を加工)

せっかく尾根線を取り戻したのであるが、例によってその先はつるぺたに均された住宅地である。とりあえずは順方向、来た方向に適当に戻ろう。
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久里浜第1丁目公園
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目指すは正面遠景に見えるグリーンである。一旦、ポストの角に戻る。
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非常にざっくりだが、この辺りで旧地名が高坂から川間に移る。川間の領域はこの尾根の西側も占めているようなので、以後は丸ごと川間である。(この回も終わりが近い?)

元の黄色センターラインの道、この先左側が高くなっているようなので、そちらを目指す。
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右画像の角を左折。

奥へ進む。
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さらにこの奥は左に入って行ける。
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だが残念ながら行き止まり?
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入って行けそうではあるが、どうも道の向きが違うようである。
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地図で見るかぎり、この先は鳥居のマーク、すわなち神社( 榊神社大禄天)へ向かうプチ支尾根道のようである。今となっては気になるが、ここは本尾根探索を続行しよう。いつか何かの出会いがあるかもしれない(←伏線)。(はい?)
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(地理院地図を加工)

先ほどの通りに戻る。
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ちなみにこの黄色いセンターラインの道路、どこかへ通じるひとかどの通り(笑)かと思われるかもしれないが、そうではなくここで「セーターライン格」は終了である(右画像)。純粋に久里浜台へのアクセス道路ということであるようだ。
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この十字路の左方向に、久里浜台を脱出する山道への入口がある。

坂を上って、うにっと奥へ入る。
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横須賀市指定緑地。天界への階段である。(は?)
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(地理院地図を加工)

光風台の地名は、千葉県の小湊鐵道大阪府の能勢電鉄の駅名になっている団地が著名のようだが、Wikipediaの記述を信用するならば、少なくとも千葉県のものとこちらの横須賀市のものは、「団地開発の事業を実施した日建不動産と共済不動産 が共同施工した開発地につけられ」るものであるそうである。「光風」の意味するところはよくわからない。光の風なのか、風が光るのか、単に光&風なのか。まあ何にせよ、投げやりな言い方になって申し訳ないが、こうした高台の眺望の良い住宅地であればなんでも有りな気もする。本来であれば久比里浦賀の字名(地番整理後は西浦賀の丁目)が混在していたところへ、ハード的にもソフト的にもここにも新しい町が誕生したということである。

御林らしき山からごそごそ出てきて出会ったこの黄色いセンターラインの道は、久里浜駅近くの平作川淵と浦賀湾にほど近い浦賀通りを結ぶ、若宮台とこの光風台のアクセスのためのメインの通りで、昔からある道ではない。
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坂をだいたい上り切ったら右折方向。
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尾根線光風台の住宅地の軽い坂をさらに上り久比里坂へ向かっているが、原地形は失われているようなので例によってこの辺りは適当に、この鉄塔の高みを目指そう。
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この高みの向こうへ進むには左へ回るべきか、右へ回るべきか、、、
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向こう側へ行くには地図を見れば一目瞭然なのだが、まずは尾根線に近い右へ行ってみよう。
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道は崖で行き止まりである。
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眺望をパノラマって見よう。(木が邪魔だな)
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崖下は集合住宅、そして浦賀通りが走っている。左のもっこりした山が尾根のつづき、その後ろの遠景の山はくりはま花の国、2つ上の画像でもはっきり写っている高い塔はいつだかも見えた生活環境処理センター南処理工場の煙突(塔マップ)であろう。

この崖をダイブして浦賀通りへ下るのはさすがのなめこさんでも不可能である。(何がさすがのなめこさんだ)
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(地理院地図を加工)

なので次は左の公園へ回ろう。
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奥へうにうに進む。
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因にこの公園の名称は光風台第3公園

隣接した鉄塔を見上げる。久里浜線No.17
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登れそうな階段があるが、柵で塞がれているし、周りからは丸見えで晒し者になるので、カタギの人は登らない方が良いだろう。(登んねーよ)
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この公園からも先へは進めない。
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対岸に見える崖は、その下の浦賀通り/久比里坂によって切通された尾根のつづき、申すまでもなくこれは尾根の断面である。そしてその先の尾根を辿る者は、一旦この切り通しまで下らなければならない。こちらの崖もダイブして浦賀通りへ下るのはさすがのなめこさんでも(それはもうわかった) あるいはもしかして走り幅跳びで向こうの崖上にならば(できねーよ!)

公園を出る。すぐに右にある公園沿いに下る坂(右画像、柵の向こう側の自動車が停まっている道。手前は塞がれていて入れない)
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結局住宅街をぐるぐる回って、この階段を下ることになる。
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怒濤の下り。(笑)
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左画像遠景で見えるのは、久里浜の街並であろう。

下りはまだまだ。。。
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やっと下りきった浦賀通り浦賀〜久里浜間の峠越えの一つ、久比里坂である。
浦賀方向と久里浜方向。
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久比里坂に関しては、石井先生のページを張っておこう。
それと、横須賀市、及びおなじみのそらいろネットさんのサイトによればこの近所に「浦賀港拓道碑」(横須賀市そらいろネット)というものがあるそうだ。例によって現地のなめこさんは全くスルーしているので、これもまた例によってGoogleさんを埋め込んでおこう


峠よりも少し久里浜側に下った右側にある。

そしてここで、もう少しでお別れになる久比里に関する同じくそらいろネットさんのページも張っておこう。
残念ながら横須賀市のサイトには、 町内会のPDF 以外、久比里に特化した情報ページは見つからなかった。

上記リンクには、久比里(くびり)の由来について、物騒なものも含めて色々書かれているが、ここもまた例によって、「横須賀市内地名考察」(PDF)からの引用もしておく。
56、久比里
久比里の起こりについては新編相模国風土記稿に「相伝フ鎮守若宮社ニ納ムル石ヨリ地名起レリ」とあり、その石をば「社ノ床下ニ石アリ(長二尺五寸許)土人是ヲ崇敬ス。石ノ形中程クビレタリ。久比里ノ地名是ニヨリ起レリト」説明している。
あまりにも、こじつけた話である。
また、こんな口碑もある。内川の川尻に大浜という部落があり、この地に真言宗の平等寺という寺があった。この寺の檀家が僅か四十五軒が寺のまわりに散在していた。ここを平等寺崎といっていた。この平等寺崎と相対して久里浜の漁家を見ることが出来た。
そんなことから久里浜に比ぶ所の里だというので久比里と呼んだためだという。
また、こんなややこしい話もある。昔、惟喬親王と惟仁親王(後に清和天皇)とが皇位を争った際、伴喜男大納言(池田か)が左大臣の源信の専横を憎み、これを無きものとしようとして藤原資孟(三崎の海南神社の祭神)に助力を求めた。しかし、資孟はそれを拒んだので大納言は彼を譲した。資孟はそのため父子三人と郎党五十三人で筑紫の配所をさして船出したのであった。
ところがその途中暴風に見舞われ舟は流され辛うじて長男は房総に漂着し、資孟夫妻の舟は三崎の花暮に漂着したという。
その後しばらくして、一羽の鳥が大納言の首をくわえて飛んで来て遂に久比里の地に墜落してしまった。これを見つけた土地の人々は早速これを訴出たということである。それ以来、この地を首切り場所すなわち「クビキリ」から訛って「クビリ」とキが無くなって久比里となったのだという話がある。
久比里の久は久里浜の起こりであった久里という部落の久と同じであろう。比 は人と人とを合わせた文字なのを並ぶ意味であり、親密な意をも含まれている。 比は普通に比べるといっているが「しげし」「並ぶ」「つづく」などとも解釈されている。
従って久比里は久里につづく里であるとか、久里と比ぶ里とか解しても良いのではなかろうか。里は狭処(さと)の義で国や郡に比べてより狭い地域で、古は郡の下にあって五十戸までの集落を里といっていたので、村落を意味している。
ってか、クビキリ云々の話、シュールでよくわからないぞ。(笑)

トイ面の崖上に取り付くには、少しだけ浦賀側に回る。
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(地理院地図を加工)

こうしてヨソモノが浦賀通り久比里坂だドヤ顔で書いているが、このときのなめこさんはこの標識で初めてこの道が浦賀通りであることを知ったのである。
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(ここから、2017.1.7の画像)
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道沿いの周りの林がかつての浦賀奉行所の管轄であった「御林」で、横須賀市のサイトによればこの道自体もそう呼ぶらしい。

峠の先に進み、、、(酷い画像だなw。自動車も通行できるようなので、Googleさんでも見られますよ)
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道が本格的に下りになったところに、庚申塔(見えねー)御林の説明板(読めねー)がある。
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(地理院地図を加工)

(ここまで、2017.1.7の画像)

峠の看板の左側に山へ入る道があり、それが尾根道のつづきである。
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看板の脇の道を入っていく。怖くない怖くない。(いやこの画像ちょっと怖い)
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例によって、菌類を愛する普通の菌類のなめこさんには謎の樹木。
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あとで出てくるどんぐりや葉っぱの形状からして、これはマテバシイ 株立ちではないかと思う。(違ってたらごめんなさい)
薪炭材、器具材、そしてどんぐりは食用にもなるというから、もしかしてこれが御林の樹木の一つ、すなわちここは御林の一部ということになるのであろうか?

尾根線はこの先一旦南の75m標高点を目指したのち東へ向かうが、マテバシイの間の道は途中から斜めにショートカットしている。だがここは冬場でズカズカ入っていけることをいいことに、例によってなめこさんの人生同様、道を外してみよう。(笑)
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尾根サーチャー的には意味があっても、絵としてはいまいち面白くないな。
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下を見下ろせそうなところがあるぞ♪
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おおおっ!横須賀火力発電所だ!
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ちなみに、すぐ下の住宅街は若宮台。町域内ではないが、ちょっと先の久比里1丁目若宮神社があるらしい( 横須賀市久里浜観光協会そらいろネット神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識etc.)。それがおそらく町名の由来であろう。 そして、旧地名的にはこの下辺りも久比里にあたる。

火力発電所だが、Googleさんの3Dと煙突の数が合わないので調べたら、施設の老朽化により現在設備更新の計画中らしい。 横須賀火力発電所既設設備の撤去工事について(PDF) (仮称)横須賀火力発電所新 1・2 号機建設計画の概要
「いまさら『火力』かよ」的な批判も当然ながらあるようだが(例えば これこれ)、一方でこんな話もある。「いまさら『原子力』かよ」もセットで考えるべき問題であろう。

そんなことはつゆ知らない現地のなめこさんは、「発電所の煙突かっけー」とか適当で無責任な感想をもらしながら先へ進む。
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いつの間にか一応道らしいものは付いている。
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この辺で本道に復帰したのかな?
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ここからまた、いい感じの尾根道になる。
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左側、西浦賀3丁目(旧地名:高坂の領域)の住宅地である。

どんぐりころころ♪(どじょうはでてきませんよ)
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マテバシイならばアクを抜かなくても食べられるらしい。拾って帰ればよかった!(惜)。(食い意地のはった奴め)

続・いい感じの尾根道
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道は下りにかかり左にカーブ、そして右にカーブ。
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右画像、左へ上る道があるが、先ほど見えた高坂側の住宅地の右側に張り出したプチ尾根上の道のようである。なめこさんはこちらが本尾根の可能性もあると思って入っていった。(実際の尾根線は下り坂の右側にある)
途中の眺望、真ん中の塔が先ほどのNTT塔塔マップ)、右が配水池の不明の塔、手前の水色屋根のメルヘンな建物は「わたげ」、自閉症の方々のための施設であるそうだ。
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この先に行き止まりだったような画像が何枚かあるが、例によってなめこさんの画像が意味不明(笑)な上に、GPSが飛びまくり場所も特定できないので、とくに載せるのはやめておく。Street Viewで見てみたら、下は住宅地が建て込んでいて確かにとても下れそうなところがない。元は下り坂があったのが宅地化で廃道になったのかもしれない。
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(地理院地図を加工)

下りの道へ戻る。
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なんか道じゃなくなってきている気がするが(笑)、かなり激しい下りだったのかもしれない。
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そして、例によって文字通りの下界に出た。
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地名はこの先光風台となる。
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(地理院地図を加工)

尾根線は道の下り始めからずっと右側にいて、階段の手前にそちらへ上る道があるが(右画像)先へ進むと私有地のお庭に入ってしまうのでやめた方が良い。(行ったのか?w)
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そんなわけでここは素直に正面の階段を上り、右折すると、
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黄色いセンターラインの若干広い道路に出る。
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(地理院地図を加工)

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